今週のみことば


12月14日
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「『兄弟であり父である皆さん
これから申し上げる弁明を聞いてください』
パウロがヘブライ語で話すのを聞いて
人々はますます静かになった
パウロは言った
『わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です
そして、この都で育ち
ガマリエルのもとで先祖の律法について厳し教育を受け
今日の皆さんと同じように
熱心に神に仕えていました
わたしはこの道を迫害し
男女を問わずしばりあげて獄に投じ
殺すことさえしたのです
このことについては、大祭司も長老全体も
わたしのために証言してくれます
実は、この人たちから
ダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい
その地にいる者たちをしばり上げ
エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです』」
(使徒行伝22章1-5節)

エルサレムの守備大隊千人隊長の許可を得て
パウロはヘブライ語(ユダヤの言語)で
”自分が何者であるか”を話し始めました

パウロはローマ帝国に属するキリキア州タルソスで生まれたユダヤ人であり
律法学者ガマリエルの門下でモーセの律法を学んだ熱心な信仰者です
そして
この律法を重んじる信仰に熱心であるがゆえに
”イエスの名による救い”を伝えるキリストの信仰者を
迫害して投獄していました

そして
続く6節からは
キリストの信仰者を捕らえるためにダマスコへ向かう途中で
突然、主イエスご自身に出会い
捕らえられ
主イエスの名による洗礼を受けて救われるに至った
いきさつが記されています

「今、何をためらっているのです
立ち上がりなさい
その方の名を唱え
洗礼を受けて罪を洗い清めなさい」(16節)


こうして
イエスを迫害する立場から一転
イエスの福音を伝える立場になったパウロは
自分の考えではなく
イエスご自身(聖霊)の導きによって歩む人となりました

彼は長い伝道旅行を終えてエルサレムに帰ってきましたが
そこでは
『急げ。すぐエルサレムから出て行け。
わたしについてあなたが証しすることを
人々が受け入れないからである』(18節)

と命じられています
せっかくここで伝道活動をしようとしていても
こうしてストップがかかることもあり
伝道者にどんな熱意があろうとも
そこは柔軟に対応していかなければならないことが分かります
というのも
そのあとで記されているように
神のご計画というものは
人の思いを超えたところにあるからです
『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ』(21節)

パウロの話をここまで聞いた人々は
彼を殺すべきだと騒ぎ始めました
彼らがどうしてここまで騒ぐのか
千人隊長はその原因を知るために
パウロを鞭で打ちたたいて調べるよう部下に命じます
ところが
ここでパウロは言いました
『ローマ帝国の市民権を持つ者を
裁判にかけずにムチで打ってもよいのですか』(25節)

千人隊長自身は
多額の金を出して市民権を得ており
パウロが生まれながらのローマ帝国の市民であると知ると
こうして彼を捕らえてしばったことさえ恐ろしくなりました
それほどローマの市民権を持つ人は地位が高かったのです

その特権は
パウロをムチ打ちの刑から救い出し
彼にさらなる弁明の機会を与えます
こうしてパウロは
自分の立場を用いて神の証をし
自分に与えられたものを神のために用いたのでした

パウロのような立場では
その家柄や地位や知識を
自分の名誉のために用いてもよさそうなものですが
イエスに捕らわれて(救われて)以降の彼には
もはやそのようなものは自分にとっては無意味になっていました

パウロ同様
イエスの名による救いを受けたクリスチャンは
神の愛を与えられ
神の性質を継ぐものとされました
それぞれが置かれた立場は違っていても
与えられた愛によって生かされていることに違いはなく
救われただけではなく
その後、どのように心が成長していくのか
そして
体験した神の証を周りに知らせていくことが
神への恩返しとなるのです

そのためにも
一人一人が置かれたところで最善を尽くし
神の言葉を受け入れる柔軟な心を持ち
日常の中にある神の証に心をとめて
恵まれた人となっていくことができますように



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