今週のみことば


1月26日
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「主よ、お救い下さい
主の慈しみに生きる人は絶え
人の子らの中から信仰のある人は消え去りました
人は友に向かって偽りを言い
なめらかな唇、二心をもって話します
主よ、すべて滅ぼしてください
なめらかな唇と威張って語る舌を
彼らは言います
『舌によって力をふるおう
自分の唇は自分のためだ
わたしたちに主人などいない』」
(詩篇12篇2-5節)
*文語訳では1-4節

ダビデ王がこの詩を詠んだ当時
彼の周りには
上手いことを言って近づいてくる人が色々あったようです
人間の口は神によって与えられたものですが
使い方は人の心次第ですから
その心を支配しているのが自分であれば
当然自分の都合よく用いることになるでしょう

洗礼と聖霊を受けたクリスチャンだからと言っても
その人の心に「神が主」であるとは限りません
本来信仰は自分の都合のためにあるわけではなくても
「自分が主」になれば
自分の都合ですべてを判断するようになります

しかし
人生は決して人の思うようにはいきませんから
「自分が主」であれば
そこにはいつも不満や不安が付きまとい
幸いな道も開かれてきません

「こういう人々は
わたしたちの主であるキリストに仕えないで
自分の腹に仕えている
そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって
純朴な人々の心をあざむいているのです」
(ローマ人への手紙16章18節)


本来クリスチャンは
「神が主」である歩みをするために救われた者です
なぜ自分がこのような目に合うのだろうと
辛い思いをする時も
それでも神の助けを信じて希望を失わない者には
必ず勇気と力と助けが与えられ
そこに神の力を見ることとなるのです

「主は言われます
『しいたげに苦しむ者と、うめいている貧しい者のために
今、わたしは立ち上がり
彼らがあえぎ望む救いを与えよう』
主の仰せは清い
土の炉で七たび練り清めた銀
主よ、あなたはその仰せを守り
この代からとこしえに至るまで
わたしたちを見守ってくださいます」
(詩篇12篇6-8節)

*文語訳では5-7節

人の嘆きはその人一人で抱えきれるものではなく
誰かに頼らなくては(支え導かれなければ)
生きていくことができません
その「誰か」が誰なのかは各々異なりますが
人が幸いになる「命の道」を教えて下さるのは神だけです

「あなたはわたしの魂をよみに渡すことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
命の道を教えてくださいます
わたしは御顔を仰いで満ち足り
喜び祝い
右の御手から永遠の喜びをいただきます」
(詩篇16篇10-11節)


とはいえ
せっかく神を知りながら離れていく人もあれば
問題を抱えていよいよ神に頼ろうとする人もあるように
あくまでも信仰は
自分が求め、自分が信じ、自分が行動するもの
今、祈ってすぐに答えがなくても
いつか必ず答えが出て
すべてのことの意味を知る時まで
そして
これで良かったと感謝する時まで
信じて、祈り続ける人は幸いです

「彼らは知ろうとせず、理解せず
闇の中を行き来する
地の基はことごとく揺らぐ」
(詩篇82篇5節)


この世の土台は常に不安定で
その揺らぎを人の力で抑えることはできません
それでも多くの人は
神を知ろうとはせず
自ら闇の中を右往左往するのです

神は人に対して見返りを求めることもなく
必ず人を助け
幸い(命の道)へと導いてくださる方
そのことを信じて
どんな状況下でも希望をもって
祈って進んでいきましょう



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