今週のみことば


2月23日
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「主よ、あなたの道をお教えください
わたしはあなたのまことの中を歩みます
御名を畏れ敬うことができるように
一筋の心をわたしにお与えください」
(詩篇68篇11節)


ここに記された「あなたの道」=「神の道」を求めることは
クリスチャンの生き方の基本ですが
それは具体的に言うと
ちょうど様々な世代で構成された大家族が
平和に暮らすようなものです

もし家族を「暴君」が支配しているなら
その家庭は平和ではありません
「暴君」とは
自分の事しか考えない自己中心の人なので
世代間の違いや性別の違いといった
一人一人の事情を考慮することなく
ただ自分の心を満足させることだけを考えます

人は誰でも自分の心を満足させたいと思い
自分の計画を持って歩むわけですが
それに固執すると
いつの間にか
この自己中心の暴君と
同じような人になっていくかもしれません

そして
この「自己中心の思い」こそが
やがて「人生の戦いの敵」となり
「自己中心の思い」が心を支配する時には
”自分(人間)が神になっている”ので
それがトラブルの元ともなっていくでしょう
ですから
「自分さえ良ければいい」という思いでは
「神の道」を歩むことも
幸いになることもできないのです

一方
自分の思いから離れて神の道を求める人には
様々な災いから救い出されるとの約束があります

「彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう
わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう
彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え
苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう」
(詩篇91篇14節)


詩篇105篇には
奴隷として売られたヨセフについて
「主は、人々が彼を卑しめて足かせをはめ
首に鉄の枷(かせ)をはめることを許された」(18節)

と記されています
この試練は神のご計画の内にあることでしたから
ヨセフは神に希望を置いて
その道に従いました
奴隷の身から、囚人にまで落とされたヨセフに
やがて「転機」が訪れ
彼は解き放たれてエジプトの宰相になるのです
そこまでの道も
それからの道も
みな神が備えられたものでした

みことばに記されているように
神を慕う者(信じる者)は決して見捨てられず
その名を呼び求める者には
必ず助けがあります

どのようなところに置かれても
自分は弱くて何も出来そうになくても
備えられた道を神と共に歩む努力はできますから
どうぞ常に神の助けを信じて
その道を進んでいきましょう



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