今週のみことば


5月11日
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「神はこのイエスを復活させられたのです
わたしたちは皆、その事の証人です
それで、イエスは神の右に上げられ
約束された聖霊を御父から受けて
注いでくださいました
あなたがたは、今このことを見聞きしているのです」
(使徒行伝2章33-34節)


イエスのご昇天から10日後
(復活から50日後)
弟子たちが集まって祈っていると
突然、彼らに「聖霊」が降ってきました
聖霊に満たされた彼らは
聖霊が語らせるままに
ほかの国々の言葉で話し出したのです(4節)

弟子たちが知らない色んな国の言葉で
神の偉大な業について語る「異言の祈り」を聞いた人々は
その不思議さから
弟子たちは単にお酒に酔っているのだと言いました
しかし
そこでペテロが立ち上がり
人々に対してお説教を始めます
今は朝の九時だから
わたしたちは酔っているのではない
今こうして人々が見聞きしているのは
預言者ヨエルが語った預言
『神は言われる
終わりの時に
わたしの霊をすべての人に注ぐ』(17節)

との言葉が
成就したことなのだと

「『だから、イスラエルの全家は
はっきり知らなくてはなりません
あなたがたが十字架につけて殺したイエスを
神は主とし、またメシアとなさったのです』
人々はこれを聞いて大いに心を打たれ
ペテロとほかの使徒たちに
『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った
すると、ペテロは彼らに言った
『悔い改めなさい
めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け
罪を許していただきなさい
そうすれば賜物として聖霊を受けます
この約束は、あなたがたにも
あなたがたの子どもにも
遠くにいるすべての人にも
つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれでも
与えられているものなのです』」(36-39節)


こうして
イエスを神と信じる者は誰でも
聖霊と洗礼受けて救われることとなりました
この神は唯一の神であり
父なる神と子なる神と聖霊なる神が
別々にに存在しているのではありません
わたし自身も
息子から見れば父親であり
父親から見れば息子であり
教会では先生と呼ばれる立場にもありますが
それらはみな別人格ではなく
一人の同じ人間で
一つの名前を持っています
そのように神ご自身も
ご自分を父としてあらわし
肉体を持った人(子)としてあらわし
聖霊として人々に降ってくださいますが
それはどれも同じ方で
その名前は
キリスト(救い主)である「イエス」なのです

この2章において
「約束の聖霊」を受けることができるようになり
人は「神に救われる者」となりました
では
人は救われることによってどうなるのでしょうか

「あなたは命に至る道をわたしに示し
御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる」(28節


人生には「思いがけないこと」が起こります
その時に
もし神が共にいてくださらないなら
どんな災いに巻き込まれるかもしれません
どんな人も自分で自分を救うことはできず
人に「命に至る道」を示してくださる方は
神しかおられないのです

つまり
「救われる」というのは
その人が「生かされる道を歩む」ということ
そして
聖霊を受けて
神が共にいてくださるからこそ
神のことが分かるようになるのです

「神はわたしたちに御自分の霊を分けてくださいました
このことから
わたしたちが神の内にとどまり
神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります」
(ヨハネの第一の手紙4章13節)

「神の掟を守る人は
神の内にいつもとどまり
神のその人の内にとどまってくださいます
神がわたしたちの内にとどまってくださることは
神が与えてくださった”霊”によって分かります」
(ヨハネの第一の手紙3章24節)


聖霊は
救われた人の内にあって
その人を助け、正しいことを教え
幸いへと導きます
そして
聖霊があるからこそ人は神が分かるようになり
その約束の聖霊は
今も求める者に降り続けているのです

人類初の聖霊降臨後
ペテロたちは多くの人々にこの救いを伝えていきました
「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り
家ごとに集まってパンを裂き
喜びと真心をもって一緒に食事をし
神を賛美していたので
民衆全体から好意を寄せられた
こうして
主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」
(使徒行伝2章46-47節)



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