今週のみことば


5月25日
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「彼がなおもペテロとヨハネとにつきまとっているとき
人々は皆ひどく驚いて
”ソロモンの廊”と呼ばれる柱廊にいた彼らのところに
駆け集まってきた
ペテロはこれを見て、人々にむかって言った
『イスラエルの人たちよ
なぜこの事を不思議に思うのか
また、わたしたちが自分の力や信心で
あの人を歩かせたかのように
なぜわたしたちを見つめているのか
アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は
その僕イエスに栄光を賜ったのであるが
あなたがたは、このイエスを引き渡し
ピラトがゆるすことに決めていたのに
それを彼の面前で拒んだ
あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで
人殺しの男をゆるすように要求し
いのちの君を殺してしまった
しかし、神はこのイエスを死人の中からよみがえらせた
わたしたちは、その事の証人である
そして、イエスの名が
それを信じる信仰のゆえに
あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり
イエスによる信仰が
彼をあなた方一同の前で
このとおり完全にいやしたのである』」
(使徒行伝3章11-16節)


神殿の”美しの門”で物乞いをしていた
生まれつき足のきかない男は
ペテロとヨハネに出会い
『ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』
といって引き起こされた時
その足は完全に癒されました
この男が喜んで神を賛美し
ペテロたちに付きまとっているのを見た人々は
これは何事だろうと驚き、怪しみます

そこでペテロの説教が始まりました
彼は、この男の足が癒されたのは
イエスの名の力によるものであり
自分たちが何かしたわけではないことを告げるのでした
イエスの名
それを信じる信仰のゆえに
あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くした」


ここで人々は
自分たちが十字架につけたイエスこそ
「救い主」であり「いのちの君」であることを知らされ
その「イエスの名」が持つ絶大な力を
足が癒された男によって見せつけられたのです

「この人(イエス)による以外に救いはない
わたしたちを救いうる名は
これを別にしては
天下のだれにも与えられていないからである」
(4章12節)


ところが
多くの人は
ペテロやヨハネが奇跡を起こしたのだと勘違いしていました
しかし
彼らはその奇跡が自分たちの力ゆえではない事を力説し
みんな悔い改めて救われるようにと勧めるのです

人間は何か良いことが起こると
すぐに自分の手柄にしたがる傾向がありますが
ペテロたちはそのような愚かなことをしませんでした
わたしたち信仰者は
まずここに目を止めることが大切です
というのも
人間は弱いので
何かあると自分を特別な存在と考え
自分には特別な神の祝福があるように思う人も出てきます
そして
それがやがて人間の誇りや傲慢につながっていく、、、
つまり
口では、神が・・・と言いながら
実は自分が神になっていく危険性があるのです

また
経済的に豊かになると
これが人を特別視する元となることがあります
しかし
あの人は神に祝福された人・・・というのが
実は金銭的に豊かだからというのでは
祝福の基準はお金にあることになってしまうでしょう
たしかに
世の中の幸せの基準はそうであっても
単にお金を求める信仰は
「美しの門」のそばで物乞いする人と変わりません
お金は使えばなくなり
その人の問題を根本的に解決してはくれない
しかし
ペテロは彼に言いました
『金銀はわたしにはない』
それよりもはるかに力のある「イエスの名による救い」を受けた人は
もう物乞いする人ではなくなるのです
それは彼が
イエスの名によって力を与えられ
自分の足で立って歩くことができるように
強くされたからです

「それゆえに、神は彼を高く引き上げ
すべての名にまさる名を彼に賜った
それはイエスの御名によって
天上のもの、地上のもの、地下のものなど
あらゆるものがひざをかがめ
また、あらゆる舌が『イエス・キリストは主である』と告白して
栄光を父なる神に帰するためである」
(ピりピ人への手紙2章9-11節)


かつて「命への導き手」であるイエスを
人々は十字架にかけて殺しましたが
神はそれをよみがえらせ
今、その名による救いが人々に与えられるようになりました

その「イエスの名」こそ
ペテロたちが熱心に伝えた最も大切なものであり
わたしたちクリスチャンは
このイエスの名の持つ力を
決してないがしろにしてはなりません

「主よ、あなたの名によっていたしますと
悪霊までがわたしたちに服従します」
(ルカによる福音書10章17節)


人生には悩みや苦しみが多く
時には絶望し、もうダメだと思うこともあるかもしれませんが
日々の戦いに勝利するためには
イエスの名が必要であることを改めて教えられ
『ナザレのイエス・キリストの名によって歩め』と
ペテロに引き起こされた人のように
これからの人生にあって
いよいよイエスの名をあがめ
ひとりひとりが弱い足を強くされ
幸いになるように歩んでください
神によって強くされる人
それこそが神に祝福された人です

何はともあれ
すべてのこと神に栄光を帰していけば間違いありませんから
上手くいく時も自分を誇ることなく
上手くいかない時も嘆くことなく
すべては神の御旨の内になされることだと
思いを変えて歩んでいきましょう



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