今週のみことば


6月8日
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「信じた者の群れは
心を一つにし思いを一つにして
だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく
いっさいの物を共有していた
使徒たちは主イエスの復活について
非常に力強くあかしをした
そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた
彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった
地所や家屋を持っている人たちは、それを売り
打った物の代金をもってきて
使徒たちの足元に置いた
そして、それぞれの必要に応じて
だれにでも分け与えられた」
(使徒行伝4章32-35節)


「美しの門」で起きた奇跡の後
使徒たちの説教を聞いてイエスを信じた者たちは
”心を一つにし思いを一つにして”
それぞれ持っているものを差し出し
使徒たちの伝道活動を助け
お互いが助け合って生活していました

彼らは主イエスを信じる信仰心により
その思いが一致していたので
そこには争いも、不満もなかったのです

ところが
ある時、使徒たちのところに
”異なる心”を持った夫妻がやってきます

「ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは
共に資産を売ったが
共謀して、その代金をごまかし
一部だけを持ってきて、弟子たちの足もとに置いた
そこで、ペテロが言った
『アナニヤよ、どうしてあなたは
自分の心をサタンに奪われて、聖霊をあざむき
地所の代金をごまかしたのか
売らずに残しておけば、あなたのものであり
売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか
どうして、こんなことをする気になったのか
あなたは人をあざむいたのではなくて
神をあざむいたのだ』」
(使徒行伝5章1-4節)


この後アナニヤは倒れて死んでしまいます
それを知らずに後からやってきた妻サッピラに
ペテロは聞きました
『あの地所は、これこれの値段で売ったのか』
それに対して妻は
すでに自分たちのウソがばれているとは知らず
『そうです、その値段です』と答えるのです

アナニヤに対してペテロが言っているように
自分の持ち物を売ろうが売るまいが
あるいは売ったものをどうしようが
そんなことは個人の自由です
この問題点は
捧げものをするしないではなく
その金額の多い少ないでもなく
アナニヤとサッピラ夫妻が
資産を売った一部だけを持ってきて
これが全額だとウソを言ったことにあるわけです
そう言った方が
自分たちの面子が保たれると思ったのでしょうか、、

このように
信仰をもって使徒たちのもとに集まっている人々の心と
アナニヤ夫妻の心は異なり
その心がけの違いは明らかでした
ウソをついた夫妻は
二人とも死んでしまうわけですが
これはバチがあたったというのではなく
神を信じていないがために
簡単にだませると思っているその心がけが
人生の滅びを招いたのだということでしょう

使徒行伝15章8節に
「人の心をご存じである神」と記されているように
人間がいくらごまかそうとしても
(ごまかせると思っても)
人の心の中はすべて神に見られています
また
使徒たちは聖霊を受けていましたから
アナニヤ達のウソも
神から教えられているわけです

「口から出て行くものは心の中から出てくるのであって
それが人を汚すのである」
(マタイによる福音書15章18節)


信仰の世界は
神との信頼関係がすべてです
この不誠実な行為は
彼らの心から出たものですが
使徒たちの話を聞いても
それを信じる人々の姿を見ても
アナニヤ夫妻には
”心を一つにし思いを一つにして”
という意味は理解できなかったようです

「彼らは見るには見るが、認めず
聞くには聞くが、悟らず
悔い改めてゆるされることがない」
(マルコによる福音書4章12節)


さて
不誠実なアナニヤ夫妻の話の続きには
神の奇跡を求めて
多くの人々が使徒たちのところへ
病人を連れてきたことが記されています
その中には
ペテロが通る時
せめてその影だけでも病人にかかるようにと
(そうすれば癒されるかもしれないと思ったのでしょう)
それほどの信頼を寄せている者もいました
こうして
切なる願いを抱えて
使徒たちのところへ集まってきた人々は
「その全部の者が、ひとり残らずいやされた」
(使徒行伝5章16節)

とあります
人の心を知る神は
懸命に神を求める人々の信仰を見て
彼らの願いを聞き入れてくださったのです

人間は弱いので
病気だけでなく
その考え方や思いも
癒していただかなくてはなりません
”信じた者の群れは
心を一つにし思いを一つにして”

とあるように
神への信頼と
思いやり、正直、誠実といった心(愛)を持つこと
すなわち
”信仰に立った歩み”ができますように
自分の心と向き合いながら
祈って進んでいきましょう



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