今週のみことば


6月22日
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「こうして、神の言葉はますます広まり
弟子の数はエルサレムで非常に増えていき
祭司も大勢この信仰に入った
さて、ステファノは恵みと力に満ち
すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた
ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で
いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々
またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり
ステファノと議論した
しかし、彼が知恵と”霊”とによって語るので
歯が立たなかった」
(使徒行伝6章7-10節)

弟子たちが迫害にも負けず
神の言葉を語り続けるうちに
その教えを信じる人々は増えていき
やがて、以前は迫害する立場であった祭司たちまでが
大勢信じるようになっていました

その頃
12使徒の他に、7人の弟子が選抜されますが
その中にステファノがいました
神の知恵と聖霊の力によって語るステファノには
迫害しようと議論してくる人たちも歯が立ちません
そのため
何とかステファノを陥れようと
人々をそそのかして
『あの男はモーセと神を冒とくしている』とウソの証言をさせたので
彼は捕えられ、最高法院に連れていかれます

そこでステファノの説教が始まりました
その内容は
イスラエルの歴史です

アブラハム〜イサク〜ヤコブ〜ヨセフと続いた信仰者の人生は
苦労の中にも神の助けと奇跡があり
彼らはみな神を信頼してその言葉に従い
すべてが神のご計画のうちに進んでいきました
更には
彼らの子孫であるイスラエル人は
異国の地エジプトで奴隷となり
そこからモーセを指導者として脱出することになります
これもみな神のご計画のうちにあることなので
ただ神を信頼し
その言葉に従って行けばよかったものを
イスラエル人の心は困った時にしか神に向かず
常に不満を言い、偶像崇拝をして
何度も神を裏切るのです

そんなイスラエルの不信仰の歴史を堂々と語り
最後にステファノは言うのでした
「かなくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち
あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています
あなたがたの先祖が逆らったように
あなたがたもそうしているのです」(7章51節)


”聖霊に逆らっている”とは
神を信じていないということです
自分は完璧な信仰者だと自負している
律法学者や祭司たち
またイエスの名を信じず迫害している人々にとって
それは大変な侮辱でしたから
彼らは大いに怒り
大声で叫びながら耳を手でふさぎ
ステファノを都の外に引きずり出して石を投げ
彼を殺してしまうのです

自分は正しいと信じている人は
自ら耳をふさいで
本当に正しいことを聞こうとはしません
神の言葉は命の言葉であっても
聞き方が違えば
同じ言葉からでも教えられることが違ってきます

律法学者たちは
神の言葉を勉強(研究)しているだけで
それが心の中で活き
信仰に結びつくことがないため
結局は自分の思いや考えを第一として
それを大声で叫び続けるのです

旧約聖書に記されたイスラエル人の歴史にあるように
実際に神の奇跡を見た人でも
心の中ではずっと偶像を追い求めていて
そういう”神に反する心”が
不満と共にあらわになります

それは時代を超えてもずっと続き
イエスの弟子たちを迫害した人々がそうであったように
自分を正当化しようと
正しいことに耳をふさぎ
命の言葉であるところの
神の言葉を受け止めることができない
そんな不信仰に
わたしたちも陥るかもしれません
そして
そのような心の内も
神はすべてをご存知です

「というのは、神の言葉は生きており
力を発揮し
どんな両刃の剣よりも鋭く
精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して
心の思いや考えを見分けることができるからです
更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく
すべてのものが神の目には裸であり
さらけ出されているのです」
(ヘブル人への手紙4章12-13節)


「人は皆、草のようで
その華やかさはすべて、草の花のようだ
草は枯れ、花は散る
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」
(ペテロの第一の手紙1章24-25節)


「何を守るよりも、自分の心を守れ
そこに命の源がある」
(箴言4章23節)

「常に主を覚えてあなたの道を歩け
そうすれば主はあなたの道をまっすぐにしてくださる」
(箴言3章6節)


神に導かれ
神の言葉を語り続けたステファノは
たくさんの人々を活かす役割を果たし
一方で、自分は殺されてしまします
しかし
彼の最期が実に平安であった様子が
7章の最後に記されており
「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」
といった言葉から
彼が自分の人生をすべて神にゆだねていることと
自分を迫害した人々に対して
許す心を持っていることがわかります
そして
最後まで変わらないその信仰によって
天国を見せられ
この上ない平安のうちに
生涯を終えることができたのでしょう

その様子を見ていた人の中に
サウロ(後のパウロ)がいました
彼はこの時
ステファノの殺害に賛成する立場の人でしたが
後に、回心することになります



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