今週のみことば


7月6日
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「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し
殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き
ダマスコの諸教会あての手紙を求めた
それは、この道に従う者を見つけ出したら
男女問わずしばり上げ
エルサレムに連行するためであった
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいた時
突然、天からの光が彼の周りを照らした
サウロは地に倒れ
『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』
と呼びかける声を聴いた
『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった
『わたしはあなたが迫害しているイエスである
起きて町に入れ
そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる』
同行していた人たちは
声は聞こえても、だれの姿も見えないので
ものも言えず立っていた
サウロは地面から起き上がって、目を開けたが
何も見えなかった
人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った
サウロは三日間、目が見えず
食べも飲みもしなかった」
(使徒行伝9章1-9節)

サウロは悪い人間ではなかったのですが
律法の信仰に熱心であるがゆえに
イエスの名を信じる信仰者を激しく迫害していました
(ちなみに「サウロ」はユダヤ名で
彼は後にギリシア名の「パウロ」を名乗るようになります)
そんなサウロが、ここでは
イエスご自身によって捕らえられ
キリスト教徒へと回心していくのです

キリスト教徒を迫害する立場だったサウロは
突然の天からの光によって目が見えなくなり
ダマスコに連れていかれました
ダマスコにはアナニアという弟子がいて
彼もまたイエスご自身から直接話しかけられ
サウロのところへ行き
彼に手を置いて祈るようにと命じられるのです

その命令に驚いたのはアナニアです
サウロと言えば迫害者として有名でしたから
そんな人のところへ行って祈れと言われても・・??!
困惑するアナニア
しかし神の命令は変わりません

「行け。あの者は、異邦人や王たち
またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために
わたしが選んだ器である
わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを
わたしは彼に示そう」(15-16節)


アナニアはその言葉に従ってサウロを訪ね
彼の上に手を置いて祈ると
彼の目からウロコのようなものが落ち
元通り見えるようになりました
そしてサウロは洗礼を受けて救われ
食事をして元気になり
弟子たちと一緒にあちこちの会堂で
イエスのことを伝え始めるのです

こうして、かつての迫害者は伝道者となり
人々を大いに驚かせ
仲間であったユダヤ人たちは
彼の変わりようを見てうろたえるのでした

サウロ(パウロ)は
この後、使徒の中で一番たくさんの書簡を書き
それが新約聖書に残され
伝道者として素晴らしい働きをするのですが
イエスご自身の言葉にあるように
彼は大変な苦しみの中に置かれ
殉教の死を遂げることになります

「神に選ばれた器」である弟子たちの中にも
早々に殺された人もあれば
長生きした人もありました
だからといって
どの人が良いとか悪いとかではなく
すべては神の采配の内になされることです

サウロは天からの光によって倒れ
その後の人生ががらっと変わりました
そして
それがどんなに幸いな事か分かっているからこそ
イエスの名を語ることでどんな苦しみに会おうとも
彼はもう元の自分に戻ろうとは思わず
イエスさまに出会ったことを喜びとして
自分の生涯を福音伝道にささげるのです

クリスチャンはみな
さまざまな形でのイエスさまとの出会いがあり
その出会いの大切さを知っている人ほど
ずっと神とのつながりを保ち続けようとします

自分の願いがかなったらもう教会に用はないとか
反対に、願い通りにならないから神さまはいないとか
色んなことを思う人はいますが
かつて自分にも
”天よりの光”があって救いに入れられ
”恵みの雨”によって潤され
どんな時にも必ず救いの手を差し伸べていただいたことを
今どのように思う(感謝する)のか?
それを常に心に問うことは
信仰生活においてとても重要な事なのです

「わたしは、その季節季節に
あなたたちの土地に
秋の雨と春の雨を降らせる
あなたには穀物、新しいぶどう酒
オリーブ油の収穫がある
わたしはまた
あなたの家畜のために野に草を生えさせる
あなたは食べて満足する
あなたたちは、心変わりして主を離れ
他の神々に仕えそれにひれ伏さぬよう
注意しなさい」
(申命記11章14-16節)


世の中において
良い人間関係を保つためには
良い人とのつながりが重要です
教会に集うということは
神とのつながりを大切にするということ
また
神と共にあることで良い出会いがあり
良い人とのつながりは
人生を良いものにしてくれます

苦しみの中で信仰を強くする人
幸せの中で信仰を忘れる人
人はそれぞれですが
神とのつながりを大切にして
天からの恵みによって活かされ
それを感謝していくことのできる人は幸いです


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