今週のみことば


7月13日
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「ペトロは方々を巡り歩き
リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った
そしてそこで
中風で8年前から床についていたアイネアという人に会った
ペトロが
『アイネア、イエスキリストがいやしてくださる
起きなさい
自分で床を整えなさい』と言うと
アイネアはすぐ起き上がった
リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て
主に立ち帰った」
(使徒行伝9章32-35節)

サウロ(パウロ)が回心し
イエスの弟子たちに加わって伝道活動を始めた頃
ペテロは別の場所で活動をしていました
そして
かつてイエスご自身が行った奇跡と同じことが
ペテロの行く所でも起こっています

このアイネアの癒しは
ヨハネによる福音書5章において
”ベテスダの池のそばにいた38年中風を患っている人”に対し
「イエスは言われた
『起き上がりなさい
床を担いで歩きなさい』
すると、その人はすぐに良くなって
床を担いで歩き出した」(8-9節)

という出来事と似ています
ここで重要なのは
単に病気がいやされたということのみならず
長年寝たきりになっている人に対して
『起き上がりなさい』と声をかけ
本人もその言葉に従うところです

そもそも長年寝たきりの人にとって
伏せっている床から『起き上がりなさい』というのは
無茶だと思えますし
失礼だと思うかもしれません
しかし彼らがその言葉に従ったのは
そこに「信じる気持ち」があったからでしょう

ペテロはアイネアを癒したのち
タビタという弟子(女性)が亡くなったのを
生き返らせました
この記述は
マルコによる福音書5章において
イエスが死んだ少女を生き返らせた奇跡と似ています

そして
アイネアの時も、タビタの時も
その奇跡を見た人々は
「主に立ち帰った」「主を信じた」とあります

わたしたちは「信じる」という言葉を簡単に使いますが
本当にイエスを救い主(神)として信じることは
具体的には
・洗礼と聖霊とによって救われること
・神の言葉に従って信仰の道を歩むこと
これらを意味しています

つまり
「人生の土台」を「信仰」におき
たとえ絶望的な状況であっても
神の助けを得て立ち上がろうとする時に
そこには思いがけないことが
今の時代でも起きてくるのです

このように
「人生の土台」をどこに置くのかを
信仰者は常に問われています
というのも
「わたしは救われている」と言っても
すべての人が本当に信じているわけではなく
その心がけや行動がすべて正しいわけではありません
そして
本当に信じているかどうかは
『起きなさい。自分で床を整えなさい』との言葉を聞いて
自分で起き上がろうとするかどうか
その行動にあらわれてくるのです

人は長い間に自分のいる場所(床)に慣れてしまい
そこから立ち上がることを望みつつも
「自分の思い」がじゃまをして
なかなか信仰をもって立ち上がることができません

また
長年持ってきた考え方や価値観も
お金や人の名誉が第一になったり
自分がごうまんになるようなものや
反対に卑屈になって自らをダメにするものは
取り除かれるべき「床」です

『起きなさい。自分で床を整えなさい』

わたしたちが幸いな道へと進むことを阻止する
「床」から起き上がるために
必要なのは「信じること」
そのためにも
聖書の話を単なる昔話とせず
幸いな人生の土台は「信仰」にあることを知って
信仰に立った歩みをしていくことができますように



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