今週のみことば
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7月20日
「翌日、この三人が
旅をしてヤッファの町に近づいたころ
ペトロは祈るため屋上に上がった
昼の十二時ごろである
彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った
人々が食事の準備をしているうちに
ペトロは我を忘れたようになり
天が開き
大きな布のような入れ物が
四隅でつるされて
地上に下りて来るのを見た
その中には
あらゆる獣、地をはうもの、空の鳥が入っていた
そして
『ペトロよ、身を起こし、屠(ほふ)って食べなさい』
という声がした
しかし、ペトロは言った
『主よ、とんでもないことです
清くない物、汚れた物は
何一つ食べたことがありません』
すると、また声が聞こえてきた
『神が清めた物を、清くないなどと
あなたは言ってはならない』
こういうことが三度あり
その入れ物は急に天に引き上げられた」
(使徒行伝10章9-16節)
冒頭の「この三人」とは
カイザリアに住む
イタリア百人隊長コルネリウスの召使たちで
彼らはペテロをコルネリウスの家に招くために
ペテロが滞在している
”革なめし職人シモン”の家へ向かっていました
その頃
お腹がすいたと思っているペテロの前に
天から大きな布につるされた生き物が
下りてきました
そして、これらを
『屠(ほふ)って食べなさい』と命じられるのですが
そこに入っていた生き物はみな
ユダヤの律法で
”食べてはならない汚れた物”
とされているものです
驚いたペテロは
とんでもない!と拒否するのですが
神はそれらを受け入れるよう命じるのでした
レビ記11章には
”食べてはならない汚れた物”が
具体的に記されています
「ひづめはあるが
それが完全に割れていないか
あるいは反すうしない動物」
「鳥類ではカラスやミミズクなど」
「ひれやうろこのない魚類」
「地上をはう爬虫類」
「四本の足を持ち群れを成す昆虫類」
これらの生き物が
天から下りてきた布に入っていたので
そういうものを食べたことがないペテロは
当然驚いたわけです
しかもこれらは
”汚れた物”とされているのですから
受けいれるのは難しい事でしょう
しかし、ここで神の言葉が降ります
『神が清めた物を、清くないなどと
あなたは言ってはならない』
そもそもこの出来事は
ペテロに
異邦人であるコルネリオを
受け入れるよう促すためのものでした
今までユダヤ人に
福音を伝えてきたペテロにとって
異邦人を救いに導くのは初めての事ですから
あらかじめこのような指導があったのです
ペテロの心が
ユダヤの律法に捕らわれていたように
わたしたちもそれぞれが持つ
自分の思いや価値観に捕らわれて
あれはダメこれもダメと
自分で決めてしまっているかもしれません
特に生まれ育つうちにしみついた思想は
その人を
不自由の中にしばりつけることがあります
そして
せっかく幸いな道が目の前にあっても
神の言葉を拒否し
恵みを失ってしまうのはよくあることです
食に関する律法については
イエスご自身が以下のように語っています
「イエスは言われた
『あなたがたも、まだ悟らないのか
すべて口に入るものは
腹を通って外に出されることが分からないのか
しかし、口から出て来るものは
心から出て来るので
これこそ人を汚す
悪意、殺意、姦淫、みだらな行い
盗み、偽証、悪口などは
心から出て来るからである
これが人を汚す
しかし、手を洗わず食事をしても
そのことは人を汚すものではない』」
(マタイによる福音書15章16-20節)
「イエスは言われた
『あなたがたも
そんなに物分かりが悪いのか
すべて外から人の体に入るものは
人を汚すことができないことが分からないのか
それは人の心の中に入るのではなく
腹の中に入り、そして外に出される
こうして、すべての食べ物は清められる』
(マルコによる福音書7章18-19節)
大切なのは
律法に捕らわれることより
信仰によって自分の心を守ること
律法を守っている自分が清いわけではなく
あくまでもその心が問われていることに
わたしたちは気づかなくてはなりません
信仰は形ではなく
心が重要であることを知り
神の言葉に対して心を開いて
神に喜ばれる生き方を
することができますように
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