今週のみことば
7月27日
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「彼らに言った
『あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり
外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています
けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか
汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました』」
(使徒行伝10章28節)
外国人であるコルネリウスの家に招かれたペテロは
そこに集まった大勢の人々の前で語り始めました
ユダヤの律法を基準に生きてきたペテロが
その律法で禁じられていることを破ってまでここへ来たのは
神の命令によるものであること
そして
コルネリウスがペテロを招いたのも
神の命令であったことが明かされます
この出来事を通して、ペテロが
『神は人を分け隔てなさらないことがよく分かりました
どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は
神に受け入れられるのです』(34-35節)
『この方(イエス)を信じる者は
だれでもその名によって罪の赦しが受けられる』(43節)
と語るうちに
そこに集まった異邦人(外国人)の上に聖霊が注がれ
彼らは異言を語り、神を賛美しました
その様子を見たペテロは
イエス・キリストの名によって洗礼を受けるように命じ
この時から異邦人にも神の救いは広がっていくこととなるのです
そして
この「異邦人の救い」により
キリスト教の教えは
従来の”ユダヤの律法を守る信仰”とは異なり
”イエスご自身がどう語っているか?”が
重要であることが分かります
「実に、信仰は聞くことにより
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」
(ローマ人への手紙10章17節)
ペテロは慣れ親しんだ律法の言葉よりも
キリストの言葉を聞いて
”おきて破り”をしましたが
もし彼の心がもっと”かたくな”であったなら
異邦人への宣教はできなかったでしょう
「その後、11人が食事をしているとき
イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった
復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである
それから、イエスは言われた
『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい
信じて洗礼を受ける者は救われるが
信じない者は滅びの宣告を受ける
信じる者には次のようなしるしが伴う
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し
新しい言葉を語る
手でヘビをつかみ、また毒を飲んでも決して害を受けず
病人に手を置けば治る』」
(マルコによる福音書16章14-18節)
ここはペテロや他の弟子たちの心が
まだ”かたくな”であった頃の記述です
復活したイエスが彼らの前に現れた時には
まだ聖霊が降っておらず
彼らの信仰も弱いままでした
それでも
この時すでにイエスご自身は
福音を全世界へ伝えるよう命じており
後日、聖霊によって力を与えられた弟子たちは
心を柔らかくして
律法から自由になり
ただイエスの言葉を信じる真のクリスチャンとなっていくのです
「ところで、兄弟たち
あなたがたも、キリストの体に結ばれて
律法に対しては死んだ者となっています」
「しかし今は、わたしたちは
自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり
律法から解放されています
その結果、文字に従う古い生き方ではなく
”霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです」
(ローマ人への手紙7章4、6節)
「この自由を得させるために
キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです
だから、しっかりしなさい
奴隷の軛(くびき)に二度とつながれてはなりません」
(ガラテヤ人への手紙5章1節)
このように
聖霊と洗礼のバプテスマを受けて救われるということは
キリストの体に結ばれて
自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり
律法から解放され
新たにキリストの言葉によって生きる者となるわけです
ここから先は
わたしたちも各々が縛られている律法(思想)から解放され
人の言葉に支配された奴隷ではなくなるために
心を柔らかくして
それまでの思考パターンや生き方を考え直す必要があるでしょう
せっかく救われても
その人の心がかたくなであれば
人生の日々の生活の中に
キリストの言葉が生きてきません
イエスの弟子たちは
異邦人から歓迎される一方
キリストの言葉を受け入れないユダヤ人からは
この後もずっと迫害され続けます
それは
キリストの言葉を聞かないがゆえに
その心はいつまでも変われない(かたくなな)ままなのでした
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