今週のみことば


8月3日
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「ステファノの事件をきっかけにして
起こった迫害のために散らされた人々は
フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが
ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった
しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて
アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ
主イエスについて福音を告げ知らせた
主がこの人々を助けられたので
信じて主に立ち帰った者の数は多かった」
(使徒行伝11章19-21節)

ペテロが異邦人に宣教したことについて
エルサレムにいる律法を重んじる人々は非難しましたが
ペテロ自身が経験した内容を語ると
『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ
命を与えてくださったのだ』と言って
神を賛美しました(18節)


こうして
ペテロによって異邦人にも救いが伝えられる一方で
ステファノの殉教以降、激しくなった迫害により
あちこちに散らされていった弟子たちによっても
異邦人への宣教がなされるようになっていました
はじめのうちは
ユダヤ人にのみ福音を語っていた彼らも
やがては遠くから来た人々にも話しかけるようになり
そこに神の力が働いたため
多くの人々が神に立ち帰ることとなったのです

そこでエルサレムの教会は
バルナバをアンティオキアへ派遣し
そこでたくさんの人々が救われていきました
サウロ(パウロ)も一緒にそこで福音を語り
この頃からイエスの弟子たちのことを
「キリスト者(クリスチャン)」と呼ぶようになったことが
26節に記されています

命の危険にさらされる激しい迫害の中でも
弟子たちの行く所には常に神の働きがあり
信じる人の数は増えていきました
そして
迫害されるほど福音は遠い地へと運ばれ
神を知らなかった(縁がなかった)異邦人にも
救いのチャンスが訪れます
それは人間的には苦労の連続であっても
神のご計画の内にあることでしたから
必ず神の働きがあって
弟子たちはみな神を身近に感じながら
勇気をもって進んでいったのでした

昔も今も
イエスを神と信じ
イエスの名による救いを受けたクリスチャンの希望は
”神が共にいてくださる”ということでしょう
神の働きを身近に感じるからこそ
ますます信じ
どんな境遇にも負けないで
自分に与えられた道を恐れず進んでいく
それを可能にするのは
信仰以外にはありません

「神の御心にかなった悲しみは
取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ
世の悲しみは死をもたらします」
(コリント人への第二の手紙7章10節)


「悲しみ(試練)」は辛いものですが
それが神から来るものであるなら
神の働きを身近に見て感じる機会となり
やがて幸いの元となります

苦労ばかりの人生のようで
実はその苦労があるがゆえに
常に神の助けを求める自分がいて
気づけばたくさんの神の働きに支えられてきたものだと
感謝することのできる人は幸いです

「主に結ばれているならば
自分たちの苦労が決して無駄にならないことを
あなたがたは知っているはずです」
(コリント人への第一の手紙15章58節)


どんな迫害の中でも
前へ前へと進んでいった弟子たちのように
わたしたちも
各々の抱える問題を前にして
ただ嘆くばかりでなく
問題解決のために勇気を出して踏み出していきましょう

人を恐れず
神を畏れて進む人に
神は必ず助けを与えて下さいますから
神の御手が常にそばにあることを信じて
前を向いて進んでいくことができますように



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