今週のみことば
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8月10日
「そのころ、ヘロデ王は
教会のある人々に迫害の手を伸ばし
ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した
そして、それが
ユダヤ人に喜ばれるのを見て
更にペトロをも捕らえようとした
それは、除酵祭の時期であった
ヘロデはペトロを捕えて牢に入れ
四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた
過越祭の後で
民衆の前に引き出すつもりであった
こうして、ペトロは牢に入れられていた
教会では彼のために
熱心な祈りが神にささげられていた」
(使徒行伝12章1-5節)
ペテロは牢獄でたくさんの兵士に監視され
2本の鎖につながれていました
ところが
ヘロデが彼を民衆の前に引き出そうと
予定していた前夜に
天使が現れ
眠っているペテロを起こすのです
『急いで起き上がりなさい』
すると、彼をつないでいた鎖が外れました
『帯をしめ、はきものをはきなさい』
『上着を着て、ついて来なさい』
天使の命令に従って
ペテロは外に出るのですが
この時はまだ
これが現実の事だと分かっていません
そして
衛兵所を通り過ぎ
町に出る鉄門のところまで来ると
門がひとりでに開き
町の通りまで来たところで
天使は離れ去りました
「ペトロは我に返って言った
『今、初めて本当のことが分かった
主が天使を遣わして
ヘロデの手から
またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから
わたしを救い出してくださったのだ』」
(11節)
使徒行伝16章においても
パウロとシラスが投獄されるのですが
真夜中に大地震が起きて
牢の戸はすべて開き
つながれていた鎖も外れて
彼らは無事に助けられています
聖書には
どんな窮地にあっても
神が救ってくださることを
証しする記述がたくさんあり
ダニエル書においては
燃える炉の中に投げ込まれた
シャデラク、メシャク、アベデネゴや
獅子の穴に入れられたダニエルが
無傷で生還しました
これはみな
神が共にいてくださるからこその奇跡であり
それを信じることで
彼らはみな希望を与えられていました
そして
昔の信仰者たちが信じた神は
今も昔と同じように
信じる者を救ってくださいますから
イエスの名によるバプテスマを受けて救われた
クリスチャンとして神と共に歩む者は
聖書を読むことで希望を与えられ
更には神がして下さったことに感謝して
いよいよその信仰を深くしていくのです
また
クリスチャンが神の助けを受けるために
何か難しいことが
要求されるわけではありません
牢獄に捕らわれたペテロが救い出されるにも
突然、天使が現れて
『急いで起き上がりなさい』
『帯をしめ、はきものをはきなさい』
『上着を着て、ついて来なさい』と
一方的に導いてくれるので
ペテロはただ
その言葉に従ってついて行っただけでした
そして
町の通りまで出てきた時に
やっと彼は
自分が救い出されたことに気づくのです
この時、ペテロは
今まで何か
夢を見ているような気持でいたのが
我に返りました
そう、自分は助けられたのだと
実感したのです
この”我に返る”というのは
信仰において非常に重要で
ルカによる福音書15章の放蕩息子は
行き詰った時に
ふと我に返って父親のことを思い出しました
そしてこれが
彼の人生の大きな転機となりました
人生に行き詰り、絶望しかけた時も
また、いつの間にか助けられていた時も
クリスチャンにとって大切なのは
いつも本来あるべき我に返って
神を思い出すこと
これを聖書では
”イエスに立ち帰る”と言います
ひとりひとりの人生には様々な出来事があって
思うようにいかない人生に
悩むことも多いものですが
神のなさることは人間にはわからず
すべてのことは神が決め
ちょうどいい時にちょうどいいことが
なされていくのだと
その導きに従うことを
良しとする人は幸いです
「神のなされることは
皆その時にかなって美しい
神はまた
人の心に永遠を思う思いを授けられた
それでもなお、人は神のなされるわざを
初めから終わりまで
見きわめることはできない」
(伝道の書3章11節)
ペテロが助け出された後
ヘロデ王は
民衆の前で演説をしている時に
天使によって打ち倒されてしまいます
神に栄光を帰することのなかったヘロデは
「虫にかまれて息が絶えてしまった」
と記されていますが
このような最期になることを
彼はまったく想像もしていなかったでしょう
この後
神の言葉はますます栄え、広がっていき
弟子たちも活発に福音伝道に励むのでした
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