今週のみことば


8月24日
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「後に人々が王を求めたので
神は40年の間、ベニヤミン族の者で
キシュの子サウルをお与えになり
それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ
彼について次のように宣言なさいました
『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者
ダビデを見いだした
彼はわたしの思うところをすべて行う』
神は約束に従って
このダビデの子孫からイスラエルに
救い主イエスを送ってくださったのです」
(使徒行伝13章21-23節)

第一回の伝道旅行にでかけたパウロ一行は
アンティオキアの教会に入り
そこでパウロは
集まった会衆に向けて説教を始めました

その内容は
「出エジプト」から始まるイスラエルの歴史であり
神が定めた王ダビデの子孫から
救い主イエスが誕生する約束とその成就
それをイスラエル人が受け入れず
十字架につけて殺してしまったことに及びます
しかし
神はイエスを死者の中から復活させました

「しかし、神が復活させたこの方は
朽ち果てることがなかったのです
だから、兄弟たち、知っていただきたい
この方による罪のゆるしが告げ知らされ
また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに
信じる者は皆
この方によって義とされるのです」(37-39節)


ダビデは神から
”わたしの心に適う者”と称され
”彼はわたしの思うところをすべて行う”として
信仰者のあるべき見本とされていますが
それでも彼は人間でしたから
その死後は朽ち果てて先祖に加わりました

一方、イエスは
神ご自身が肉体をもって来られた方なので
十字架上で死んでも
人間のように朽ち果てることなく復活しました
そして
”この方による罪のゆるしが告げ知らされ”
洗礼と聖霊を受けることによって
”信じる者は皆
この方によって義とされる”
ことになったのです

それまでイスラエル人は
モーセの律法を守ることで義とされる(救われる)との教えに従い
そのことに熱心になっていましたが
人間は弱く
どうしても律法を完全に守ることはできなかったのです

こうして
正しく生きることのできない人間のために
完全に正しい神ご自身が代わって死んで下さり
ここに「人類の救いの道」が開かれたのでした

「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました
正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです
あなたがたを神のもとへ導くためです
キリストは、肉では死に渡されましたが
霊では生きる者とされたのです」
(ペテロの第一の手紙3章18節)


イエスの名によるバプテスマを受けて救われることで
その人自身も
復活のイエスの力を持つことになり
どんな境遇にあっても
信じる者は必ず活かされていく
その新しい教え(福音)は
集まった多くの人々に希望を与え
それは現在も変わらず続いています

この使徒行伝の時代のように
イエスの弟子たちがいて
そこにイエスご自身の言葉が直接臨む環境は
信仰を知るには都合が良かったと思いますが
今の時代も、信じる者には神の働きがあり
それを実感することができますから
ひとりひとりが聖書のみことばを通して
イエスの名による救いがどういうものであるか
その力がいかほどであるかを改めて知り
いよいよ信仰に立って歩んでいくことができますように

「ほかのだれによっても救いは得られません
わたしたちが救われるべき名は
天下にこの名のほか
人間には与えられていないのです」
(使徒行伝4章12節)




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