今週のみことば


8月31日
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「次の安息日になると
ほとんど町中の人々が主の言葉を聞こうとして集まってきた
しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ
口汚くののしって、パウロの話すことに反対した
そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った
『神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした
だがあなたがたはそれを拒み
自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている
見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く
主はわたしたちにこう命じておられるからです
”わたしは、あなたを異邦人の光と定めた
あなたが、地の果てにまでも、救いをもたらすために”』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び
主の言葉を賛美した
そして、永遠の命を得るように定められている人々は皆
信仰に入った
こうして、主の言葉はその地方全体に広まった
ところが、ユダヤ人は
神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して
パウロとバルナバを迫害させ
その地方から二人を追い出した
それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落し
イコニオンに行った」
(使徒行伝13章44-51節)

アンティオキアの教会において
パウロから、イエスによる救いの話を聞いた会衆は
大いに喜んで
次の安息日にも同じ話をしてほしいと頼みました
そして
次の安息日が来て
ほとんど町中の人々が集まってきたのを見たユダヤ人は
ひどくねたんでパウロたちを迫害するのです

本来ならば
まず最初に神の言葉を聞くべきユダヤ人が
このように自ら救いを拒否したため
パウロは
これからは異邦人の方に行くと宣言するのでした

それを聞いて喜ぶ異邦人たち
しかし、ユダヤ人たちは
なおもパウロたちを迫害して
ついに町から追い出してしまいます

この時
ユダヤ人に扇動されてパウロたちを迫害したのは
”神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々”
と記されているように
信仰心のある人々なのですが
彼らは本当に大切な神の言葉を
聞くことができなかったようです

それは、わたしたちの中にも起こりうることで
何かあればすぐに心が揺らぎ
自分の中にある神の言葉を自ら追い出してしまうような
そんな神への不信とは
常に隣りあわせだとも言えるでしょう

41節には
ハバクク書1章5節を引用し
「見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ
わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う
人が詳しく説明しても
お前たちにはとうてい信じられない事を」

と語られていますが
神のご計画は
人には詳しく説明されても信じがたく
なかなか受け入れることができません

そのため
律法によって義とされる時代から
イエスの名による救いによって義とされる時代への転換は
例えパウロたちが一生懸命語っても
そこに信仰がなければとても信じられなかったのです

また
バプテスマを受けてクリスチャンになっても
もし自分の願い通りにならなければ
自分が「神と共にある」ということを
疑いたくなることもあるでしょう

しかし
キリスト教において大切なのは
自分の思い通りになることではなく
「試みの時にも神の恵みがある」ということ
つまり
どんな状況であっても
神に希望を置いて進んでいくことが
信仰者に求められる姿勢なのです

使徒たちは
たとえどんなに迫害されても
そこに必ず神の恵みがあることを信じて
各々の使命を全うしました

わたしたちも
各々、色んな問題を抱えているとしても
同じ神の恵みを得る者として
信仰を全うすることができますように
祈っていきましょう



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