今週のみことば


9月7日
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「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバは
ユダヤ人の会堂に入って話をしたが
その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った
ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し
兄弟たちに大して悪意を抱かせた
それでも、二人はそこに長くとどまり
主を頼みとして勇敢に語った
主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い
その恵みの言葉を証しされたのである」
(使徒行伝14章1-3節)

ユダヤ人の迫害により
アンティオキアから追い出されたパウロとバルナバは
イコニオンでも同じように迫害されていますが
彼らの語ることを信じて信仰に入るユダヤ人も多く
町の人々は分裂していました
そんな中でも勇敢に神の言葉を語るパウロたち
しかし、そこに
危害を加えようとする者たちが出てきたことを
彼らは気づき
また別の地方へと出て行くのでした

こうして
いつも危険と隣り合わせで活動するパウロたちには
必ず「聖霊による助け」があり
危険が迫っていることも教えられたので
難を逃れることができたのです
そして
行く先々では必ず「神の御業」があって
奇跡を見た人々はいよいよ信じるようになりました

8節からは
リストラという町に住む生まれつき足の不自由な人が
パウロの一言でいやされた記述があります
しかし
ここで問題になったのは
人々がパウロやバルナバを神のごとく扱い
彼らにいけにえを捧げようとしたことでした
これについて
彼らは厳しく戒めています

『皆さん、なぜ、こんなことをするのですか
わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません
あなたがたが、このような偶像を離れて
生ける神に立ち帰るように
わたしたちは福音を告げ知らせているのです
この神こそ、天と地と海を
そしてその中にあるすべてのものを造られた方です』(16節)


昔も今も
人は、何か力があるように見える人を
神のごとく扱うことがあります
パウロたちは
神話に出て来る神々の名をもって呼ばれ
偶像の習慣に従った扱いをされるところでしたが
ここで彼らは
天地創造の神こそが唯一の神であり
さまざまな偶像から離れて
生ける神に立ち帰るべきことを懸命に語るのでした

そもそも偶像とは
人間の造った産物にすぎず
コリント人への第一の手紙8章4節には
以下のように記されています
『世の中に偶像の神などはなく
また、唯一の神以外にいかなる神もいない事を
わたしたちは知っています』


こうして
偶像の習慣に慣れている人々に対して
真の神がどういう方であるかを告げ知らせるパウロたちに
また迫害者が迫ってきて
石を投げつけて殺そうとします
それでも彼らは助けられ
また次の町で福音を伝えるのでした

使徒たちが行く先々では
神の奇跡が行われ
危険にさらされる使徒たちも
神に助けられながら
福音伝道を続けています
これらの不思議な出来事や助けについて
そんなことはバカバカしいと思ってしまえば
とても信じることはできません

このように
「救いの話」というのは
人の常識で考えればバカバカしく
それでも
信じる人には神の実在を体験する証があり
信仰によって希望が与えられることも事実です

「希望はわたしたちをあざむくことがありません
わたしたちに与えられた聖霊によって
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」
(ローマ人への手紙5章5節)


ここは有名なみことばですが
文語訳では
「希望は恥を来たらせず」
口語訳では
「希望は失望に終わることはない」
と訳されており
信仰者にとっては
まさに希望を与えられる内容となっています

「だれが主の思いを知り
主を教えるというのか
しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています」
(コリント人への第一の手紙2章16節)


神に寄りすがる信仰は癒しにつながることが
リストラの足の不自由な人の奇跡からもわかります
ですから、どんな時も
”神の愛がわたしたちの心に注がれているから”には
わたしたちは「キリストの思い(心)を持つ者」として
希望を捨てません

現実には
さまざまな問題を抱えて心揺らぐことはあっても
聖書のみことばによって強められ
信仰をもって歩んでいける人は幸いです



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