今週のみことば

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10月3日

神を証人に立てて、命にかけて誓いますが
わたしがまだコリントに行かずにいるのは
あなたがたへの思いやりからです
わたしたちは
あなたがたの信仰を支配するつもりはなく
むしろ、あなたがたの喜びのために
協力する者です
あなたがたは信仰に基づいて
しっかり立っているからです
そこでわたしは
そちらに行くことで
再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい
と決心しました
(コリント人への第二の手紙1章23‐24節、2章1節)

『コリント人への第一の手紙』において
パウロは
教会内の不品行や偶像礼拝などの
様々な「過ち」について
厳しい言葉をもって戒めてきました
こうして教会の中を正しく導いていくこと
それは指導者として当然の行動ではあっても
そのためにコリントの教会が荒れたり
パウロ自身が誤解されたりするのは
実に悩ましいことです
そこで彼は
これ以上彼らを悲しませないために
本来行く予定だった
コリント行きを取りやめました
そして続く『コリント人への第二の手紙』で
その心情を更に語っていくのです

「悲しみの原因となった人がいれば
その人はわたしを悲しませたのではなく
大げさな表現は控えますが
あなたがたすべてをある程度悲しませたのです」(5節)

問題を起こした人々によって教会は揺れ
パウロの手紙によって
関係者が罰せられることで
関係ない人々まで悲しむ事態となりました
そこで
今後は”過ちを許す”方向へと
パウロは導いていくのでした

「その人には
多数の者から受けたあの罰で十分です
むしろ、あなたがたは
その人が
悲しみに打ちのめされてしまわないように
ゆるして、力づけるべきです
そして、ぜひとも
その人を愛するようにしてください」(6‐7節)


過ちは正されなくてはなりませんが
その裁きはいつまでも続くものではない
次は”キリストの心をもって許す”こと
それは何のために?
「わたしたちがそうするのは
サタンにつけこまれないためです」(11節)


パウロの厳しい忠告は
”愛から出るもの”ですから
感情的な怒りと違って
”神にあっての許し”につながっていきます
それは
わたしたちが感情的になることによって
サタンにつけこまれないためであり
クリスチャンが”キリストに習う者と”して
心がけていくべき課題なのです

この”キリストに習う者”としての生き方は
「わたしたちはキリストによって
神にささげられる良い香りです」(15節)

とあるように
愛をもって正しいことを忠告する潔さも
過ちを赦す心も
それらはすべて”キリストの良い香り”となって
周りに広がっていきます
ただし、これは
自分の立場や損得を第一に思えば
なかなか難しいことかもしれません

「兄弟たち、万一だれかが
不注意にも何かの罪に陥ったなら
”霊”に導かれて生きているあなたがたは
そういう人を柔和な心で
正しい道に立ち帰らせなさい」
(ガラテヤ人への手紙6章1節)

「わたしから学んだこと、受けたこと
わたしについて聞いたこと
見たことを実行しなさい
そうすれば
平和の神はあなたがたと共におられます」
(ピリピ人への手紙4章9節)


パウロはある日突然キリストに捕らえられ
それから彼の人生観はすべて福音中心になり
彼の歩みは
キリストに習う者の見本となっていきました
彼は決して
自分を高く置いているのではありません
ただ本当に
心からそのように歩まされている自分を見て
みんなも同じように歩み
希望のある
平安な人生を送ってほしいと願っているのです

これまでも何度も記しているように
洗礼を受けて救われたなら
また、教会にさえ通っていれば
それで信仰は完成ではありません
わたしたちは聖書を通して神を知り
同時に自分の心を知ることにより
心がけが変わり
本当に必要な配慮のできる
愛のある人へと
変わっていくことが求められています

このように
信仰は日々成長するものであり
まずは
”自分は自分のことでさえ何も知らない”ことに
気づくことが大切です
これは一人で気づくのは難しいので
導く人が必要となり
そのために教会が置かれているわけです

また
教会は一人一人が孤独にならないように
神にあって皆がひとつにつながる場所です
そこが安らぎのある心地いい場所であるようにと
パウロが常に配慮し尽力していたことに
わたしたちも習っていきたいと思います


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