今週のみことば
1月11日
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「かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので
航海はもう危険であった
それで、パウロは人々に忠告した
『皆さん、わたしの見るところでは
この航海は積み荷や船体ばかりでなく
わたしたち自身にも
危険と多大な損失をもたらすことになります』
しかし百人隊長は、パウロの言ったことよりも
船長や船主の方を信用した
この港は冬を越すのに適していなかった
それで、大多数の者の意見により
ここから船出し
できるならばクレタ島で
南西と北西に面しているフェニクス港に行き
そこで冬を過ごすことになった
ときに、南風が静かに吹いてきたので
人々は望みどおりに事が運ぶと考えてイカリを上げ
クレタ島の岸に沿って進んだ
しかし、間もなく
”エウラキロン”と呼ばれる暴風が
島の方から吹き降ろしてきた」
(使徒行伝27章9-14節)
ローマの皇帝に上訴したパウロは
他の囚人たちと一緒に
皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスに引き渡され
ローマへ向かうことになりました
しかし
その船旅は順調には進みません
そして
パウロの忠告を聞かず
船長や船主の判断で出港した船は
暴風に会い難破してしまうのでした
3節に記されているように
百人隊長ユリウスはパウロに対して親切な人でしたが
船出するかどうかの判断においては
パウロの言葉よりも
船をよく知る船長たちの経験から来る言葉を重視しました
さらに
出向の際には
ちょうどいい南風も吹いてきたので
人々はきっと順調に航海できるものと考えます
ところが
予想外の暴風により船は沈みそうになり
人々はすっかり絶望してしまいました
そんな彼らに対してパウロは
自分の忠告を受け入れていればこんなことにはならなかったと
苦言を呈したあとで
天使から
『パウロ、恐れるな
あなたは皇帝の前に出頭しなければならない
神は、一緒に航海しているすべての者を
あなたに任せてくださったのだ』
と告げられた話をします
「ですから、皆さん、元気を出しなさい
わたしは神を信じています
わたしに告げられたことは
そのとおりになります
わたしたちは必ず
どこかの島に打ち上げられるはずです」(25-26節)
この後
人々はパウロの勧めに従って食事をし
積み荷を捨てて船を軽くします
朝になって
どこか知らない陸地の入り江を見つけたので
船を乗り入れようとしましたが失敗し
船は壊れだしました
この時
兵士たちは囚人たちが逃げるのを懸念して
殺そうとするのですが
百人隊長はパウロを助けたいと思い
その計画を阻止
そのため276人全員が無事に上陸することとなりました
こうして
パウロに告げられた神の言葉は成就したのです
船出するか否かの判断をする際
責任者であるユリウスは信仰を持っていなかったので
パウロの言葉に従いませんでした
これは
わたしたちの人生においてもよく起こることです
人は自分の経験の範囲内で物事を理解しようとするのが一般的ですが
経験値だけではすべてを知ることはできません
こうして同じ聖書を読んでいても
日本人は日本人としての考え方(常識)で考えるので
日本人以外の人々とは理解が異なる部分も出てきます
このように
まず「自分の考えが一番」では
本当に正しいことはわからないままでしょう
そして
人があれこれ自分で考えてみたところで
最終的になるのは「神のみ旨(むね)」のみ
今年の年頭のみことば
「然(さ)されど我らは
キリストの心を有(も)てり」は
わたしたちクリスチャンは
神の考えやご計画を共有していくべきことを
教えています
19節において
船出に都合のいい南風が吹いてきたように
そのことが後にどう影響するのか
人間にはなかなかわからないものです
それでも
自分の人生においての責任者は自分自身ですから
自分で判断しなくてはならない時
そこに必要になるのが「キリストの心」
人生は自分の熱心や勢いだけで進むと失敗し
華やかな世界の裏にどれほどの苦労があるのか
何も考えない人には
大きな落とし穴もあります
そんな時
自分の生活における責任者は自分なのですから
自分が上手くいかない事を
人のせいにしてばかりもいられません
人にとって都合の良さそうな話でも
神にあってはどうなのかと
自分はどうするべきかを見極める
わたしたちクリスチャンは
常にそういう冷静な心を持っていくことが大切です
それでも
なお様々な問題に悩まされることもあるでしょう
そんな時には
下記のみことばを思い出し
そこに希望を置いて進んでいきましょう
信仰とは
どんなことがあっても
神は必ずすべてのことを益にしてくださると信じることです
「神を愛する者たち
つまり、ご計画に従って召された者たちには
万事が益となるように共に働くということを
わたしたちは知っています」
(ローマ人への手紙8章28節)
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