今週のみことば


11月21日

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「愛する人たち、わたしたちは
このような約束を受けているのですから
肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め
神を畏れ
完全に聖なる者となりましょう」
(コリント人への第二の手紙7章1節)

洗礼と聖霊による救いにあずかっているクリスチャンは
自分自身が「生ける神の神殿」とされていることを心に留め
この世に生きる間、様々な「汚れ」から離れ
神を畏れて歩む必要があります

『コリント人への第一の手紙』においてパウロは
教会内の不品行や偶像礼拝など様々な「過ち」について
厳しい言葉をもって戒めてきました
その手紙のことでコリントの人々は悲しみ
それがパウロにとっても大きな憂いとなりましたが
その後、テトスがコリントに到着することで
彼らが悔い改めていることが分かり
テトスの知らせによって
パウロは大いに慰められたのでした

「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても
わたしは後悔しません
確かに、あの手紙が一時的にもせよ
あなたがたを悲しませたことは知っています
たとえ後悔したとしても
今は喜んでいます
あなたがたが悲しんだからではなく
悲しんで悔い改めたからです」(8‐9節)


更にパウロは
それが”神の御心に適ったこと”であったがゆえに
彼らの悲しみは
やがて神への信仰につながり
幸いをもたらしたのだと述べています

「神の御心に適った悲しみは
取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ
世の悲しみは死をもたらします」(10節)


救いを受けてクリスチャンになっても
この世に生きている限り
わたしたちには様々な問題がつきまとい
そのたびに残念な悲しい思いをすることもあるでしょう
それでも大切なのは
こうして「神の御心に適った悲しみ」にあう時
わたしたちはそこからどう考え、どう行動するのか
もし間違いがあるなら悔い改め
悲しみをいよいよ信仰を深くする機会とする
そのような潔い信仰を育てていく必要があるのです

そして
神のみ心に適う悲しみは
世の中から出た悲しみと違うので
それによって死に至る→人生に絶望して
自身をダメにすることはない

それどころか
神に立つことによってすべては幸いになるのですから
神の恵みにあずかる者とされていることを思い出し
神の家族として
汚れ(不信仰)から離れ
信仰の道から離れないように
心がけていきましょう

「わたしはすべての点で
あなたがたを信頼できることを喜んでいます」(16節)


神を畏れて生活する者は
していいことと悪いことをわきまえることができ
過ちを犯さないように自分を律し
何があっても堂々と生きる力を与えられます
それは
自分が神を信頼し
神からも信頼されているからです
神から信頼される人は
どんなに幸いでしょうか

わたしたちは人間的には決して完全にはなりえませんが
神の前に自分を低くし
信仰によって正しい道を教えられ
その道に歩もうとするなら
神から信頼される人になることができるのです

「また、あなたがたは
人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を
「父」と呼びかけているのですから
この地上に仮住まいする間
その方を畏れて生活すべきです

(ペテロの第一の手紙1章17節)



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