今週のみことば
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1月18日
「パウロが
一束の枯れ枝を集めて火にくべると
一匹のマムシが熱気のために出てきて
その手にからみついた
住民は
彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て
互いに言った
『この人はきっと人殺しに違いない
海では助かったが
正義の女神は
この人を生かしておかないのだ』
ところが、パウロは
その生き物を火の中に振り落とし
何の害も受けなかった
体がはれ上がるか
あるいは急に倒れて死ぬだろうと
彼らはパウロの様子をうかがっていた
しかし
いつまでたっても何も起こらないのを見て
考えを変え
『この人は神様だ』と言った」
(使徒行伝28章3-6節)
難破船からマルタ島に上がったパウロたちを
島民は親切に迎え
たき火をたいてもてなしてくれました
ところが
そのたき火にパウロが枯れ枝を入れると
マムシが出てきて
パウロの手にからみついたので
島民たちは
パウロがこれで死ぬだろうと考えます
せっかく嵐の海から生還したというのに
ここで死ぬとは
この男はよほど悪い奴に違いない・・・
そんなことを言っていた人々ですが
いつまでたってもパウロが死なないので
突然考えが変わって
今度は彼を神さま扱いするのでした
さて
パウロの手に”からみついた”
と記されているマムシは
口語訳では
”かみついた”と訳されていますが
かみついたとしても
かみつかなかったとしても
パウロが何の害も受けなかったのは
神の助けによるものです
その様子を見ていた島民も
マムシがいかに危険か
よく知っていましたから
パウロの手に
マムシがくっついているのを見ただけだとしても
彼はもう死ぬに違いないと思ったのでしょう
ところが彼は無事だった
このように現実に神の業を見た人々は
それまでの考えを変えて
そこに神さまの実在を認めるのでした
この後、パウロたちは
マルタ島の長官の家に招かれ
そこで病気の父親を癒したことから
島のほかの病人たちもやってきて
みんな癒してもらいます
信仰とは
神が実在し
生きて働く事実を認めることですが
これらの出来事を通して
島民たちは信仰を持つようになり
パウロたちが船出するに当たっては
必要な物もそろえてくれました
三か月後
パウロたちは出港し
やがてローマに着きました
パウロはそこで一人で住むことを許され
ユダヤ人たちを招き
自分が罪も犯していないのに捕らえられたことと
迫害されている内容について
知ってもらいたいと願うのです
「そこで、ユダヤ人たちは日を決めて
大勢でパウロの宿舎にやってきた
パウロは朝から晩まで説明を続けた
神の国について力強く証しし
モーセの律法や預言者の書を引用して
イエスについて説得しようとしたのである
ある者はパウロの言うことを受け入れたが
他の者は信じようとはしなかった」
(23-24節)
こうしてパウロは
自費で借りた家に2年間住み
訪問してくる人を誰でも歓迎して
神の国をのべ伝え
主イエス・キリストについて教え続けた・・・
ここで
使徒行伝は終わっています
「イエスの名」を語ることで
ユダヤ人たちに迫害されてきたパウロでしたが
彼は最後まで福音を語る機会を与えられ
使命を全うすることができました
パウロの話を聞いて
受けいれる人もあれば
受けいれない人もあった
それもイザヤ書に預言されている通りでした
『この民のところへ行って言え
あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず
見るには見るが、決して認めない』(26節)
それでも
どんなに迫害する者があっても
神のご計画は必ず進んでいくのです
「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」
(イザヤ書9章6節)
パウロの話を聞いても
どうしても受け入れることができなかった人が
あったように
わたしたちの心の中にも
聖書を読んでいても
「納得のいかない思い」があるかもしれません
信仰していても、よくあるのが
神を自分の都合に合わせて考える
自己流の信仰です
しかし
本当の信仰は
自分が納得いくとかいかないではなく
聖書が何を教えようとしているのかを
まず知ろうとする姿勢が第一歩であり
それを受け入れて
自分の生活の歩みに生かしていくことにより
神の業を見ることができるのです
というのも
この世の中にはサタンがいて
しばしば人の心を惑わし
不安を与えます
マタイによる福音書13章には
「毒麦のたとえ」があり
良い麦の中に
敵が毒麦の種をまくと記されていますが
この毒麦は
そのまま良い麦と一緒に育ち
刈入れの時に
やっと毒麦だけ処分されるというのです
これをわたしたちの人生に当てはめると
周りに生えてきた毒麦(諸問題)に
どう対処するのか
その知恵と力が必要だと分かるでしょう
つまり
それらを神から与えられれば
良い麦は毒麦に影響されず
順調に育つことができます
また
毒麦とは外から来るばかりでなく
自分の内側に
「毒麦の心」が起きてくることもあるので
その毒麦の心が成長しないように
「キリストの心」を持つことが大切なのです
物事の対応は
人間の感情に任せるとしばしば失敗するように
人間の都合に合わせた物の見方と
神の側に立った物の見方は
相反している場合も多いものですから
問題が起きている時こそ信仰に立ち
冷静な判断をしましょう
神を信頼し
神からも信頼される人となって
最後までその信仰がブレなかったパウロを思い
わたしたちの人生も
神の思いにゆだねて
様々な戦いに勝利していくことができますように
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