今週のみことば


12月12日

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「さて、あなたがたの間で
面と向かっては弱腰だが
離れていると強硬な態度に出る
と思われている、このわたしパウロが
キリストの優しさと心の広さをとをもって
あなたがたに願います
わたしたちのことを肉に従って歩んでいると
見なしている者たちに対しては
勇敢に立ち向かうつもりです
わたしがそちらに行くときには
そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています
わたしたちは肉において歩んでいますが
肉に従って戦うのではありません
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく
神に由来する力であって
要塞も破壊するに足ります
わたしたちは理屈を打ち破り
神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し
あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ
また、あなたがたの従順が完全なものになる時
すべての不従順を罰する用意ができています」
(コリント人への第二の手紙10章1-6節)

パウロは手紙では強硬な態度に出るのに
面と向かっては弱腰だ・・・と
そんな批判を浴びているパウロは
この章において
自分は決して人に媚びようとしているのではなく
神の武器をもって戦っているのだと
その生き方の誇りについて語っています

確かに彼は手紙では
神の真理について語るのですから
厳しいことを書いていますが
人と会う時には
相手の立場に立った
思いやりのある態度で接しているので
イメージが違うという感じがあったのでしょう

そもそもパウロは
この福音を語る際
多くの人の理解を得るために
ユダヤ人にはユダヤ人のように
律法に支配されている人には同じように
その人の立場で接していました
これはキリストの心を心とする配慮によるもので
それは人から見れば
優柔不断に思えるのかもしれませんが
決してそうではありません

わたしたちは誰でもこの世で生きている間は
この弱い肉体を持ち
感情に左右されつつ
肉の世界に生きています
こうして
”わたしたちは肉において歩んでいますが
肉に従って戦うのではありません”

そして
ここがパウロの誇りとするところ
つまり
”わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく
神に由来する力”
=「信仰」なのです

肉の世の中においては
力のある人に媚びて
その人の力を頼りに生きることが
一般的によくあることでしょう
しかし
そんな同じ肉の社会に生きていても
クリスチャンの歩みは違う
それをパウロは言いたいのです

様々な不安の尽きない世の中にあって
わたしたちの肉の心は少なからず揺らいでいきます
それでも
心は神の武器(信仰)によって支えられ
不安も辛さも
この武器の力によって克服することができるのが
信仰の素晴らしいところなのです

人の力ではどうにもならない難問も
神の力で打ち破ることができる
それはちょうど
”要塞も破壊する”ほどの力であり
この世のどんな理屈も
神の知識の前には勝つことはできません
ところが
パウロの上辺だけを見ている人には
そんな神の力のことが理解できないのです

「あなたがたはうわべのことだけ見ています
自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば
その人は、自分と同じく
わたしたちもキリストのものであることを
もう一度考えてみるがよい」(7節)


自分はキリストのものであると言いながら
実は人の上辺しか見ていない
だからパウロの語る真理も
悟ることができないわけですが
聖霊を与えられているものは
みんな「キリストのもの」とされていることをよく知って
その根本にあるキリストの心を悟ることができるように
パウロの語る言葉の真意を
正しくくみ取っていかなくてはならないのです

このように
手紙のパウロも
目の前のパウロも
語っている真理は同じことなのですが
残念ながら
そのように理解できない人もありました

「わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない
わたしのことを
『手紙では重々しく力強いが
実際に会ってみると弱々しい人で
話もつまらない』
と言う者たちがいるからです」(9-10節)


パウロ自身は
自分を誇ろうとはせず
自分が持っている「神の武器」を誇りとしています
これについては
6章の4節以降に記されているように
どんな苦労や困難があっても
そこには神の力があって
左右に「義の武器」をもって打ち勝つことができる
何があっても神を信頼し
神に立っていけば大丈夫だとの思い
すなわちその信仰が
大きな武器となるのです

「わたしたちは、自己推薦する者たちと
自分を同列に置いたり
比較したりしようなどとは思いません
彼らは仲間どうしで評価し合い
比較しあっていますが、愚かな事です」(12節)

伝道者としての成果について
自分を誇りたい人は
その思いに従って評価し合います
しかし
もしわたしたちが誰かと比べるというのなら
比べるべき相手は主イエスその方でしょう
それは
わたしたちが見習うべき方であり
もちろん誰もその御前には
自分を誇れるものなどありません

「誇る者は主を誇れ」(17節)

人の心は弱く
こうしてすぐに間違った方向へと流されていきがちです
そんな弱さも守ってくださるのが神の力
誇るなら常に神を誇ること
人をほめても
誰も何ほどの者でもないのです

「信仰の戦いを立派に戦い抜き
永遠の命を手に入れなさい
命を得るために
あなたは神から召され
多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです」
(テモテへの第一の手紙6章12節)

「また、キリストの平和が
あなたがたの心を支配するようにしなさい
この平和にあずからせるために
あなたがたは招かれて
一つの体とされたのです
いつも感謝していなさい」
(コロサイ人への手紙3章15節)


神の前に自分がどういうものであるかをわきまえ知り
また、神である主イエスがどのような方であるかを理解して
神の心や思いがわたしたちの心を支配し
人としての弱い心が守られていきますように
そして
そのような立場とされていることに
改めて感謝していきましょう


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