今週のみことば
(スマートフォン用ページ)
*****************
2月1日
「だから、すべて人を裁く者よ
弁明の余地はない
あなた方は、他人を裁きながら
実は自分自身を罪に定めている
あなたも人を裁いて
同じことをしているからです
神はこのような事を行う者を
正しくお裁きになると
わたしたちは知っています」
(ローマ人への手紙2章1-2節)
1章の終わりには
神への信頼と感謝が
欠如しているがゆえにもたらされる
「人間の弱さ」が書き連ねられています
『あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち
ねたみ、殺意、不和、あざむき、邪念にあふれ
陰口を言い、人をそしり、神を憎み
人を侮り、高慢であり、大言を吐き
悪事をたくらみ、親に逆らい
無知、不誠実、無情、無慈悲』
そして
この弱さを持ちながら
それを悔い改めることもなく
各々が自分の考える尺度で
「裁き(審判)」を行うことについて
”神はこのような事を行う者を
正しくお裁きになる”
というわけです
もし
”人間は誰も完全ではない”と知っていれば
自分が思うことが
常にすべて正しいとは思わないでしょう
しかし
完全に正しい存在である神を認めない人は
何が本当に正しかわからないまま
他人の事も自分の事も自らの考えで
勝手に裁く(決めつける)のです
ルカによる福音書12章には
自分の人生が自分の思うままになると信じた
『愚かな金持ち』のたとえがあります
彼は豊作に恵まれた時
これで一生安泰だと信じ
飲んで食べて楽しもう〜と喜びますが
神は彼に告げるのでした
『愚かな者よ
今夜、お前の命は取り上げられる
お前が用意したものは
一体だれのものになるのか』(20節)
そして
彼のように
自分のために富を積んでも
神の前に豊かにならない者は
みな同じだと記されています
お金持ちになりさえすれば幸せだ・・・と
そういう考え方を正しいと信じる人は
自分の考えを超えたところに
神の審判があることを知りません
また
自分で自分を大物だと思うような人も
神の意志を無視して
自分自身を勝手に判定しているので
神に喜ばれることがありません
これとは反対に
自分のことを勝手に卑下して
自分はダメだ最低だと決めつける人も
謙虚なのではなく
自分で自分を裁いているにすぎないのです
人生において
自分の力を誇りとし
自分の考えに固執するのか
あるいは
神の力を頼りとし
神の考えに任せるのか・・・?
クリスチャンはもちろん後者のはずですが
そこに神への信頼が揺らぐようなことがあると
人間の弱さが現れてくるかもしれません
しかし
そこで思い出すべきなのが「聖霊の存在」です
「知らないのですか
あなたがたの体は
神からいただいた聖霊が
宿ってくださる宮殿であり
あなたがたはもはや
自分自身のものではないのです
あなたがたは
代価を払って買い取られたのです
だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」
(コリント人への第一の手紙6章19-20節)
人は洗礼と聖霊を受けて
クリスチャンになった時から
自分の身は「神の宮」となり
その身を
思うままにしてはいけなくなりました
だからクリスチャンは自殺してはなりません
現実の生活が困難ばかりだとしても
「神の宮」としての自分を大切にして
そこからいかに神が救い出してくださるかを
人々に知らしめる
その信仰の歩みこそが
神に喜ばれるものであり
”神の前に豊かな人”の生き方なのです
「わたしの愛する兄弟たち
こういうわけですから
動かされないようにしっかり立ち
主の業に常に励みなさい
主に結ばれているならば
自分たちの苦労が決して無駄にならない事を
あなたがたは知っているはずです」
(コリント人への第一の手紙15章58-59節)
「目を覚ましていなさい
信仰に基づいてしっかり立ちなさい
雄々しく強く生きなさい
何事も愛をもって行いなさい」
(コリント人への第一の手紙16章13-14節)
これらのみことばは
神に結ばれた(救われた)者は
その信仰によって
必ず人生に勝利することを約束しています
人生の勝利とは
お金持ちになるとか
成功者になるという意味ではなく
自分の魂に平安や満足があること
そして
それらのものはみな
神から来ることを心に留めて
それぞれ置かれたところで
神の宮として
神の正しさの判断に任せた日々を
信仰をもって歩んでいきましょう
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく
また、肉に施された外見上の割礼が
割礼ではありません
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり
文字ではなく
”霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです
その誉れは人からではなく
神から来るのです」
(ローマ人への手紙2章28-29節)
信仰は外見上のものではなく
心に刻まれたものであることが重要です
聖霊を受けた人は
霊による割礼を受けた人ですから
神の心を知り
それを自分の思いとして受け入れて
上辺のものではない本当の信仰を
育てていくことができますように
<目次