今週のみことば


3月14日
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「わたしは律法が霊的なものであると知っています
しかし、わたしは肉の人であり
罪に売り渡されています
わたしは、自分のしていることが分かりません
自分が望むことは実行せず
かえって憎んでいることをするからです
もし、望まない事を行っているとすれば
律法を善いものとして認めているわけになります
そして、そういうことを行っているのは
もはやわたしではなく
わたしの中に住んでいる罪なのです
わたしは、自分の内には
つまりわたしの肉には
善が住んでいない事を知っています
善をなそうという意思はありますが
それを実行できないからです
わたしは自分の望む善は行わず
望まない悪を行っている
もし、わたしが望まないことをしているとすれば
それをしているのは
もはやわたしではなく
わたしの中に住んでいる罪なのです」
(ローマ人への手紙7章14-20節)

かつて
神の律法を熱心に守ることにより
神の前に完全に正しい人となることを目指したパウロは
イエスに捕らえられ、救われて
それまでの考え方を変えられました

神の律法は、すなわち「善」であり
律法そのものは正しくても
残念ながら人の中には「罪」があるので
どんなに正しい行いをしようと思っても
なかなか行動が伴いません
だから
人は律法の行いでは救われない
主イエスの名による救いが必要なのだと
パウロは繰り返し語ります

「わたしはなんとみじめな人間なのでしょう
死に定められたこの体から
だれがわたしを救ってくれるでしょうか
わたしたちの主イエス・キリストを通して
神に感謝いたします
このように
わたし自身は心では神の律法に仕えていますが
肉では罪の法則に仕えているのです」(24-25節)


マタイによる福音書13章には
『毒麦のたとえ』があります
畑の中に毒麦の種がまかれて
良い麦と一緒に育ち
両方ともそのまま育っていく・・・
わたしたちの心の中にも「毒麦の思い」があって
それが「自分の思い」となって
自分自身を支配しているかもしれません

わたしたちはこの世の中にあって
本当に正しいことも実行できない上に
多くの情報の中で
惑わされながら生きています
もはや何が正しい事なのかもわからない
そんな世の中に生きているからこそ
本当に正しい神の言葉を基準とし
キリストの心を持って判断し
キリストの平和によって心が満たされて
平安が与えられる必要があるのです

「また、キリストの平和が
あなたがたの心を支配するようにしなさい
この平和にあずからせるために
あなたがたは招かれて
一つの体とされたのです
いつも感謝していなさい」
(コロサイ人への手紙3章15節)


クリスチャンは
神に招かれ(選ばれ)
キリストに結ばれて一つの体になった者です
その人生にあって
様々な試練を通される時も
キリストの心を持つ者は
その信仰によって
心の中に平和(平安)を得ていくでしょう

しかし
キリストの心から離れると
信仰の目的が「自分の利得」になるので
そこには注意が必要です

「異なる教えを説き
わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも
信心に基づく教えにも従わない者がいれば
その者は高慢で、何も分からず
議論や口論に病みつきになっています
そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推
絶え間ない言い争いが生じるのです
これらは、精神が腐り、真理に背を向け
信心を利得の道と考える者の間で起こるものです
もっとも、信心は
満ち足りることを知る者には
大きな利得の道です」
(テモテへの第一の手紙6章3-6節)


”信心を利得の道と考える者”とは
金持ちになろうとする者であり
金銭の欲はすべての悪の根であること
そして
金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て
苦しみに会うことになると
9-10節に記されています

一方
”満ち足りることを知る者”
わたしたちが目標とする信仰者の姿です
決して豊かではなくても
必要な物は必ず与えられ
心が平和で満たされた人生は
本当の意味で利得の道と言えるでしょう

「わたしは、自分の置かれた境遇に
満足することを習い覚えたのです
貧しく暮らすすべも
豊かに暮らすすべも知っています
満腹していても
空腹であっても
物が有り余っていても
不足していても
いついかなる場合にも
対処する秘訣を授かっています
わたしを強めてくださる方のおかげで
わたしにはすべてが可能です」
(ピリピ人への手紙4章11-12節)


信仰と言うと
何か難しい事のように思えますが
キリスト教は
律法を守る信仰と違って
決して難しいものではありません
人生に色んなことはあるけれど
すべてのことは神の采配の内になされるので
信仰者は悲観することなく
希望をもって生きることができるわけです
その時に大切なのは
自分の中に
キリストの心(思い)を持っているかどうか
更には
その心が定着していくことが
心に平和があるかどうかを左右します

パウロが自分を
なんとみじめな人間なのだろうと言っているように
人間はみな同じように弱い者ですから
弱さを感じる時には
心のうちに神の言葉を思い出し
信仰の戦いを戦い抜き
いかなる時にあっても励まされ
勇気をもらって歩んでいきましょう

「主はわたしのために
すべてを成し遂げてくださいます
主よ、あなたの慈しみが
とこしえにありますように
御手の業をどうか放さないでください」
(詩篇138篇8節)




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