今週のみことば


3月14日
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「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり
あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます
キリストの霊を持たない者は
キリストに属していません
キリストがあなたがたの内におられるならば
体は罪によって死んでいても
”霊”が義によって命となっています」
(ローマ人への手紙8章9-10節)

7章においてパウロは
「わたしは、自分の内には
つまりわたしの肉には
善が住んでいない事を知っています
善をなそうという意思はありますが
それを実行できないからです」(18節)

人間の内面の弱さを語り
だから
人は律法の行いでは救われない
主イエスの名による救い(洗礼)が必要なのだ
と、説きました

「ほとんどすべてのものが
律法に従って血で清められており
血を流すことなしには罪の許しはありえないのです」
(ヘブル人への手紙9章22節)

そのため
全人類の罪の許しのために
完全に清い神が肉体をもって生まれ(イエスの誕生)
十字架にかかって血を流し
その血にあずかるバプテスマ(洗礼)を受けることによって
人は「罪と死の法則」から解放されることになりました

さらに
「キリストの霊」すなわち「聖霊」が宿ることにより
人は、肉の支配下から聖霊の支配下に移され
死へと向かっていた体が
聖霊の力によって復活し
活かされることとなったのです
なお
ここに言う「死」とは
肉体の滅びを示すのではなく
魂の死、心の死、すなわち「絶望」です

ルカによる福音書15章の『放蕩息子』は
父親から財産をを分けてもらい
それで遊び暮らした末
すべてを失いました
彼の心はお金にしか向いておらず
彼の周りにはそのお金にたかる人が寄ってきましたが
お金が無くなると人も離れてしまいます
これは滅びに向かう人の姿を表しており
神を求めず、世(お金)を求める人は
その魂が死ぬ=絶望するのですが
幸いなことにこの息子は父親を思い出し
悔い改めて父のもとに帰っていくのでした
この父親は神のひな形なので
”死んだ息子が生き返った”と
喜んで彼を迎え入れます
こうして滅びかけていた彼の人生は
神に立ち帰ることで
再び生かされていったのです

「肉に従って生きるなら
あなたがたは死にます
しかし、霊によって体の仕業を絶つならば
あなたがたは生きます
神の霊によって導かれる者は皆
神の子なのです」
(ローマ人への手紙8章13節)


何度も繰り返すようですが
人間の心は弱く
自分より幸せそうな人をは見てうらやましく思い
ねたみ、そのうち悪口を言い
あるいは自分をつまらないと卑下し・・・と
そういう「罪」と無縁であることは難しいです
どんなに立派な教えがあっても
それで自分の思いを自制できるわけではない
しかし
聖霊を持ち、神の思いに従う者は
そこに命と平和があるのです

「肉の思いは死であり
霊の思いは命と平和であります」(6節)

どんな地位にあろうと
どんなに豊かであろうと
目に見えるものは永遠ではありません
そこに安心感はなく
もしそれに頼れば
その先にあるのは滅びです

これに対して
神の力は復活の力
人生を死から生へと導くものであり
聖霊は人間の内側にあって
その人の思いを変え
様々な試練の内にあっても平安を与えて
すべてのことが幸いへと結びつくように
実際に神の証を加えてくださいます

「神を愛する者たち
つまり、ご計画に従って召された者たちには
万事が益となるように共に働くということを
わたしたちは知っています」(28節)


人生は計画通りにはいかず
自分の思いに支配されていると
見栄を張ったり
自己中心になったり
あるいは自暴自棄になったりと
幸せはどんどん遠のいていきます

大切なのは
そういう自分の思いに打ち勝つこと
そして
それを可能にするのが聖霊の力なのです

「神から生まれた人は皆
世に打ち勝つからです
世に打ち勝つ勝利
それはわたしたちの信仰です」
(ヨハネの第一の手紙5章4節)



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