今週のみことば
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5月9日
「わたしたち強い者は
強くない者の弱さを担うべきであり
自分の満足を求めるべきではありません
おのおの善を行って隣人を喜ばせ
互いの向上に努めるべきです
キリストもご自分の満足は
お求めになりませんでした
『あなたをそしる者のそしりが
わたしにふりかかった』
と書いてあるとおりです
かつて書かれた事柄は
すべてわたしたちを教え導くためのものです
それでわたしたちは
聖書から忍耐と慰めを学んで
希望を持ち続けることができるのです」
(ローマ人への手紙15章1-4節)
この章では
「キリストにある者の心得」として
”自分の満足を求めないこと”
”自分ではなく隣人を喜ばせること”
について記されています
これは一言でいえば
”自己中心にならないように”
ということを教えているのですが
実生活において
わたしたちは色んな場面に置かれた際
自分の感情のままに発言したり
行動したりすることで
それが周りにどういう影響を及ぼすのか
冷静に考えることはとても重要です
しかし
常に自分の心を満足させることを求める人は
自分のすることが
相手にとって益となるのかどうかを考える前に
まず自分の心に従って行動するので
それが仮に「良いこと」だと思っていても
思いがけない「良くない」結果になりがちです
例えば
親が子を思うあまり、甘やかし
何かと助けすぎて
結果的に子どもが自立できない・・・
という問題は昔から後を絶ちません
更には
人間の愛にはしばしば偏りがあって
親子であっても
親が特定の子どもばかりに目を向け
他の子どもに犠牲が生じているなら
その子の人生も平安ではないでしょう
誰かの幸せが
他の誰かの犠牲の上に成り立つというのは
世の中にはよくあることですが
人間の心はそれで満足でも
それは神の御心ではありません
”信仰は
自分の願いがかなうためにあるのではない”
と、今までも記してきたように
結局こうして人間は
正しさを間違う生き物なので
改めて正しさの基準を神より学ばなくては
その人生に平和は来ない
つまり
信仰は
各々の人生の平和のためにあるわけです
「それでわたしたちは
聖書から忍耐と慰めを学んで
希望を持ち続けることができるのです
忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに
キリスト・イエスに習って
互いに同じ思いを抱かせ
心を合わせ声をそろえて
わたしたちの主イエス・キリストの神であり
父である方を
たたえさせてくださいますように」
(4-6節)
思うようにいかない人生の中で
更につらい立場に置かれることがあっても
”忍耐と慰めの源である神”は
キリストの心を持つ者として
わたしたちがどのように生きるべきかを教え
その行動の結果として
平和な道へと導いてくださいます
面白くない事が起きた時
相手をとことんなじる(攻撃する)ことは簡単で
それで自分の心が満足するとしても
それが神の栄光にならないなら
どこかで踏みとどまらなくてはなりません
「だから、神の栄光のために
キリストがあなたがたを
受け入れてくださったように
あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」
(7節)
わたしたち異邦人は
キリストによる救いで神に受け入れられ
その恵みによって今日まで生かされてきました
異邦人の救いの約束は
イザヤ書に預言されたとおり成就し
エッサイの息子ダビデの子孫から
イエスが誕生するのです
「『エッサイの根から芽が現れ
異邦人を治めるために立ち上がる
異邦人は彼に望みをかける』
希望の源である神が
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように」
(12-13節)
”忍耐と慰めの源である神”
そして
”希望の源である神”は
わたしたちに聖霊を与え
人生に平和をもたらしてくださいます
そのために必要なのは
心がけにおいてキリストに似る
つまり、神の愛を持つということ
「神の言葉を守るなら
まことにその人の内には
神の愛が実現しています
これによって
わたしたちが神の内にいることがわかります
神の内にいつもいると言う人は
イエスが歩まれたように
自らも歩まなければなりません」
(ヨハネの第一の手紙2章5-6節)
パウロはその伝道生涯において
人に望みを置かず
キリストに望みを置くことを
人々に伝えてきました
彼の思いは常に神が中心ですから
その働きにおいても
自分を誇ることをしませんでした
「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は
あえて何も申しません
キリストは異邦人を神に従わせるために
わたしの言葉と行いを通して
また、しるしや奇跡の力
神の霊の力によって働かれました」
(ローマ人への手紙15章18-19節)
そして彼は
他の誰かが伝道した場所ではないところへ出かけていき
「他人の築いた土台の上に建てたりしない」(20節)
つまり、他の人が基礎を築いたところを
横取りするようなことはしなかった
彼の心がけは
キリストの心に学んでいたからです
パウロ自身は
かつてイエスを迫害する者であったにも関わらず
神は彼を選び、救ってくださいました
それによって彼の人生観や価値観は全く変わり
彼は真の神の救いの意味を知ったのです
そして今
わたしたちがキリストの心に似ることを
求められるのは
わたしたちの人生観が変えられて
神にある者の幸いを実感し
その人生に平和が来るためなのです
「あなたがたはキリストを見たことがないのに愛し
今見なくても信じており
言葉では言い尽くせない
すばらしい喜びに満ちあふれています
それは、あなたがたが信仰の実りとして
魂の救いを受けているからです」
(ペテロの第一の手紙1章8-9節)
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