今週のみことば


5月16日

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「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている
プリスカとアキラによろしく
命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに
わたしだけでなく
異邦人のすべてに教会が感謝しています」
(ローマ人への手紙16章3-4節)

この16章でローマ人への手紙は終わりますが
冒頭でパウロは
まず自分の伝道活動の協力者に対して
お礼の言葉を述べています

その中で名前が記されているプリスカとアキラ夫妻は
使徒行伝18章に登場し
パウロは当時彼らの家に住み込んで
一緒にテント造りの仕事をしていました
その夫妻が後にどれほどパウロを助けたのかは
お礼の言葉を読むと分かります

このようにパウロの伝道活動は
常にたくさんの人々に助けられてなされたもので
彼はこの書簡の最後に
あらためて同労者たちの名前を挙げて
感謝の気持ちを表したのでした

しかし
こうしてキリストの福音を受けいれ
その言葉に従って歩んだ人々の存在がある一方で
信仰の道から外れ
他の人々の信仰をも惑わす存在があったことも
17節以降を読むと分かります

「兄弟たち
あなたがたに勧めます
あなたがたの学んだ教えに反して
不和やつまづきをもたらす人々を警戒しなさい
彼らから遠ざかりなさい
こういう人々は
わたしたちの主であるキリストに仕えないで
自分の腹に仕えている
そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって
純朴な人々の心をあざむいているのです」(17-18節)


”自分の腹に仕えている”とは
自分勝手な考えや思いを
これが神の道だと主張する人のことです
その具体的な内容について
テモテへの第一の手紙には
以下のように記されています

「異なる教えを説き
わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも
信心に基づく教えにも従わない者がいれば
その者は高慢で、何も分からず
議論や口論に病みつきになっています
そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推
絶え間ない言い争いが生じるのです
これらは、精神が腐り、真理に背を向け
信心を利得の道と考える者の間で起こるものです」
(テモテへの第一の手紙6章3‐5節)

キリストの福音と異なる教えを説く人は
すなわち
”信心を利得の道と考える者”
つまり
いかに自分が得をするかが信仰の目的となり
その目的のために
聖書の信仰からどんどん離れてしまっている人です

「何度も言ってきたし
今また涙ながらに言いますが
キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです
彼らの行き着くところは滅びです
彼らは腹を神とし
恥ずべきものを誇りとし
この世の事しか考えていません」
(ピリピ人への手紙3章18‐19節)

「しかし、たとえわたしたち自身であれ
天使であれ
わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を
告げ知らせようとするならば
呪われるがよい」
(ガラテヤ人への手紙1章8節)

キリストの福音に反して
信仰を損得勘定で考える自己流の信仰感を持つ人は
自ら福音につまづいている状態であり
信仰生活が失敗してしまっている例でもあります
そして
こういう人が純朴な人の心をあざむき
いかにも信仰熱心なようで
実は間違った福音を伝えて人を惑わせるので
わたしたちは気をつけなくてはなりません

本来、信仰は人に左右されるものではなく
神と自分の問題ですが
イエスの名による救いを受けたクリスチャンは
何者にもしばられない自由を与えられたにも関わらず
間違った信仰感を持つ人の言葉によって惑わされ
不自由な道に迷い込むことも少なくないのです

しかし
神は人の口をもって本心を語らせるので
その言葉をよく聞いていれば
どんなに上手な言葉を並べていても
聖書の教えと違うことに気づくことができます
そのためにも
聖書の教える福音が何なのか
神が人に求めていることは何なのかを
わたしたちはまず知らなくてはなりません

つまり
人間は誰でも
自分の理想通りに歩むことを幸せと思いますが
現実の人生は決して思い通りではなく
そこには神のご計画があって
嫌だと思うところも通らなくてはならない
それでも
神が共にいてくださることを信じ
開かれた道に従って通り過ぎるなら
そこには思いがけない展開があって
すべてのことが相働いて益となるようにしてくださるわけです

このように
それを信じて従える人には
神に対する感謝を実感できるこの信仰も
キリストの福音に反して
”自分の腹に仕えている”人にとっては
実に都合が悪いので
自分の理想に沿うように変えたくなるわけで
こうして自分流の信仰が形成され
自分の理想という枠から出られない
不自由な信仰をするようになるのです

「あなたがたの従順は皆に知られています
だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます
なおその上
善にさとく、悪には疎くあることを望みます
平和の源である神は間もなく
サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう」
(ローマ人への手紙16章19‐20節)


この世には
善もあれば悪もあります
そのため
わたしたちは神の知恵をもって
人々と平和を保つよう
上手に歩まなくてはなりません

神は争いの神ではなく、平和の神
クリスチャンであっても
何をしても何を考えても自由ではありますが
実際の歩みにおいて何を重視するかは
”キリストの心”を基本にすることが大切です

色々問題はあっても
時の流れが解決することもあるでしょう
恨みや憎しみも
時と共に薄まっていく
それも神のご配慮のうちになされることで
そこには慰めや励ましの業(奇跡)があり
平安が与えられ
気づけばいつの間にか気にならなくなっている
そのように
神の助けによって
状況も心も変えられていくのです

だからわたしたちは希望をもって
今あるところで前を向き
やるべきこと、できることをやっていく
それが「従う」ということです

どんな時も
「知恵ある唯一の神」(27節)によって
正しい道を歩むことができますように



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