今週のみことば
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6月27日
「あなたがたの間で
一人が仲間の者と争いを起こしたとき
聖なる者たちに訴え出ないで
正しくない人々に訴え出るようなことを
なぜするのです
あなたがたは知らないのですか
聖なる者たちが世を裁くのです
世があなたがたによって裁かれるはずなのに
あなたがたは
ささいな事件すら裁く力がないのですか」
(コリント人への第一の手紙6章1-2節)
ここでパウロは
教会において
信仰者同士のトラブルが起きた時
それを正しくない人=信仰のない人々に訴えて
裁くようなことがあってはならない
と語っています
そもそも
イエスの名による洗礼と聖霊を受けて
「聖なる者」とされた信仰者同士が
トラブルを起こすことも問題で
こういう場合
信仰者としてどうするべきとの判断を
コリントの人々は
信仰を持った人に聞かず
信仰のない人に訴えているのです
「兄弟が兄弟を訴えるのですか
しかも信仰のない人々の前で」(6節)
「そもそも、あなたがたの間に
裁判ざたがあること自体
既にあなたがたの負けです
なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです
なぜ、むしろ奪われるままでいないのです」
(7節)
「それどころか、あなたがたは
不義を行い、奪い取っています
しかも兄弟たちに対して
そういうことをしている」(8節)
たとえ自分が被害者であっても
信仰のある裁きの仕方というものがあり
ましてや加害者であるなら
当然悔い改めるべきです
どちらにしても
信仰的な考え方で裁くべきところを
信仰のない人々の前に
訴え出て裁くことを知ったパウロは
コリントの教会の中には
「兄弟を仲裁できるような知恵のある者が
一人もいないのですか」(5節)
と、嘆いているのです
ある時は指導者であるパウロの悪口を言い
更にはこうして兄弟同士でトラブルを起こす
コリントの教会の人々に対してパウロは
彼らが救われる前には
どのような人間であったかを語り
「聖なる者」とされた今は
自分の身が
どのようなものであるかをわきまえ
それにふさわしいふるまいを
するように訴えるのでした
「正しくない者が
神の国を受け継げないことを知らないのですか
思い違いをしてはいけない
みだらな者、偶像を礼拝する者
姦通する者、男娼、男色をする者
泥棒、強欲な者、酒におぼれる者
人を悪く言う者、人の物を奪う者は
決して神の国を受け継ぐことはできません
あなたがたの中にはそのような者もいました
しかし、主イエス・キリストの名と
わたしたちの神の霊によって洗われ
聖なる者とされ、義とされています」
(9‐11節)
過去には過ちがあった人であっても
救いを受けて「聖なる者」=「義とされた者」は
その時点から「神のもの」となりました
そして
世に支配されない
人に左右されない自由を得
律法の信仰からも解き放たれたのです
しかし
その与えられた「自由」を
どのように考え
行動するべきなのでしょうか
「『わたしには、すべてのことが許されている』
しかし、すべてのことが益になるわけではない
『わたしには、すべてのことが許されている』
しかし、わたしは何事にも支配されはしない」
(12節)
クリスチャンは「自由」になったのですから
何をしても自由ですが
それがすべて益になるわけではなく
せっかく自由になったのですから
再び人に支配される生活には
戻らないことが重要です
「神のもの」とされたということは
もはや救われる前の「自分」ではないのですから
不義を行い、神の名を汚してはなりません
「知らないのですか
あなたがたの体は
神からいただいた聖霊が
宿ってくださる神殿であり
あなたがたはもはや
自分自身のものではないのです
あなたがたは
代価を払って買い取られたのです
だから、自分の体で
神の栄光を現しなさい」(19‐20節)
以下、イエスの名による救いを受けて
「神のもの」になるとはどういうことか
みことばを抜粋していきます
「生きているのは
もはやわたしではありません
キリストが
わたしの内に生きておられるのです」
(ガラテヤ人への手紙2章20節)
「キリスト・イエスのものとなった人たちは
肉を情欲や欲望もろとも
十字架につけてしまったのです」
(ガラテヤ人への手紙5章24節)
「あなたがたは
身代金を払って買い取られたのです
人の奴隷となってはいけません」
(コリント人への第一の手紙7章23節)
「知ってのとおり
あなたがたが
先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは
金や銀のような朽ち果てるものにはよらず
きずや汚れのない小羊のような
キリストの尊い血によるのです
キリストは
天地創造の前から
あらかじめ知られていましたが
この終わりの時代に
あなたがたのために現れてくださいました
あなたがたは
キリストを死者の中から復活させて
栄光をお与えになった神を
キリストによって信じています
従って、あなたがたの信仰と希望は
神にかかっているのです」
(ペテロの前の手紙1章18‐21節)
救い主イエス・キリストは
天地創造の唯一の神が
肉体をもってこられた姿であり
その血による救いを受けることによって
わたしたちは
「世に支配された人の奴隷」の状態から
解放されて「神のもの」とされました
こうして
人の古い言い伝えや風習による
”先祖伝来のむなしい生活”から解放され
自由になったにもかかわらず
神ではなく人を恐れ
相変わらず人の言いなりになっているのでは
人の奴隷になっているのと同じことです
コリントの教会の人のように
不義を行い
人と争うことも
人に支配されて人生を振り回されるのも
どれもむなしい信仰生活です
教会の中には
神以外に支配者はいりません
しかし
現実には
指導者や信仰者の中にも支配者が現れて
人と人との争いも起きてきます
救われて「神のもの」となったはずなのに
人間にはなお「肉の思い」があって
信仰がなければ
その弱さと戦うことはできません
わたしたちは何をしても自由です
しかし
できるだけ「益になる道」を選びたい
そして
「人に支配されない」強い心を持つように
聖書の教えに立って
潔く進んでいきたいものです
<目次