今週のみことば


7月25日

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「だから、立っていると思う者は
倒れないように気をつけるがよい
あなたがたを襲った試練で
人間として耐えられないようなものはなかったはずです
神は真実な方です
あなたがたを耐えられないような試練に
遭わせることはなさらず
試練と共に
それに耐えられるよう
逃れる道をも備えていてくださいます」
(コリント人への第一の手紙10章12-13節)

10章の冒頭は
かつてイスラエルの民が神に背き
悪をむさぼり
偶像礼拝をし
みだらな行いをしたために
荒れ野で滅ぼされた事について
これらはみな
わたしたちが同じ過ちをしないために
前例として起こったものだと記しています

信仰者でありながら
神の御心に適わない行いをするのは
今まで助けられてきた自分の立場を忘れ
自分の力で生きているように
勘違いすることから起きてきます

12節は文語訳で
「然(さ)らば自ら立てりと思ふ者は
倒れぬやうに心せよ」

と訳されており
自分の力を過信することへの戒めが
より分かりやすく表現されています

そして
続く13節には
かつて先祖たちがそうであったように
わたしたちも人生で色んな試練にあうけれど
そこには必ず神の助けがあると
それも
試練に耐えられるよう
逃れる道が備えられていると
約束されているのです

14節以降でパウロは
偶像礼拝を戒め
8章で出てきた
”偶像に備えられた肉を食べて良いか悪いか”
という問題について
改めて語り出しました

8章でも語っているように
それを食べたからといって自分が汚れるわけでもなく
そもそも偶像という神は存在しないので
恐れる必要はないのですが
パウロは以下のように語っています

「いや、わたしが言おうとしているのは
偶像に献げる供え物は
神ではなく悪霊にささげている
という点なのです
わたしは、あなたがたに
悪霊の仲間になってほしくはありません」(20節)


そして23節からは
6章で出てきたみことばが繰り返されます
「『すべてのことが許されている』
しかし、すべてのことが益になるわけではない」


更にこの後
何を食べるかという問題について
具体的に記したパウロは
「わたしが感謝して食べているのに
そのわたしが感謝しているものについて
なぜ悪口を言われるわけがあるのです」(30節)

と語った後
以下のように結論を出しています

「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ
何をするにしても
すべて神の栄光を現すためにしなさい
ユダヤ人にも、ギリシア人にも、他の教会にも
あなたがたは
人を惑わす原因にならないようにしなさい」(31‐32節)


今までにも記されていたように
コリントの教会には問題が多く
お互いが裁きあったり
指導者であるパウロの悪口を言ったり
その信仰感もはっきりしていないようです

それは
彼らの中に
”神を畏れる”という感覚が欠如しており
神の栄光よりも自分の栄光を求め
神を信じていると言いつつ
実は自分を過信しているからでしょう

「また、あなたがたは
人それぞれの行いに応じて
公平に裁かれる方を
『父』と呼びかけているのですから
この地上に仮住まいする間
その方を畏れて生活すべきです」
(ペテロの第一の手紙1章17節)


偶像という神はいなくても
悪霊は存在しています
もしわたしたちが”神を畏れる”ことを忘れ
何をしても自由だと思えば
自分自身が悪霊に惑わされ
その上、他の人をも惑わしていることも
気づかないかもしれません

パウロが何度も訴えているのは
信仰者の心が常に神に向いていることです
そうでありさえすれば
人も教会も平和なのですが
コリントの教会は
なかなかそうはならなかったようです


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