今週のみことば


8月8日

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「ここであなたがたに言っておきたい
神の霊によって語る人は、だれも
『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし
また、聖霊によらなければ、だれも
『イエスは主である』とは言えないのです」
(コリント人への第一の手紙12章3節)

コリントの教会の信徒には異邦人が多く
彼らは以前偶像礼拝をしていた人々です
そのため
主イエスが神であり
そのことは聖霊が証ししていることを
繰り返し教える必要がありました

そして
4節からは
「賜物」について記されており
教会の中における務めは色々ありますが
それを与えるのは
同じ聖霊、同じ主イエスであると語っています

「ある人には”霊”によって知恵の言葉
ある人には同じ”霊”によって知識の言葉が与えられ
ある人にはその同じ”霊”によって信仰
ある人にはこの唯一の”霊”によって病気を癒す力
ある人には奇跡を行う力
ある人には預言する力
ある人には霊を見分ける力
ある人には種々の異言を語る力
ある人には異言を解釈する力が与えられています
これらすべてのことは
同じ唯一の”霊”の働きであって
”霊”は望むままに
それを一人一人に分け与えてくださるのです」
(8-11節)


また教会には
指導者としての賜物が与えられている人が置かれ
各々違った役割を持つ人の集まりとなっているわけですが
そのすべての賜物は神から出たもので
その人が特別な力を持っているわけではありません
そして
一人一人にそのような聖霊の働きがあるのは
教会全体の益となるため(7節)だと
パウロは語っています

さらに12節からは
わたしたちがキリストの体を構成する
多くの部分であることを教えています

「体は一つでも
多くの部分から成り
体すべての部分は数は多くても
体は一つであるように
キリストの場合も同様である
つまり、一つの霊によって、わたしたちは
ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと
奴隷であろうと自由な身分の者であろうと
皆一つの体となるために洗礼を受け
皆一つの霊を飲ませてもらったのです」(12-13節)


手、足、目、耳・・・と
体はたくさんの部分で構成され
目立つ部分もあれば
見えない部分もありますが
どれも体にとっては欠かせない
重要な役割を持っています

「だから、多くの部分があっても
一つの体なのです
目が手に向かって
『お前はいらない』とは言えず
また、頭が足に向かって
『お前たちはいらない』とも言えません
それどころか
体の中でほかよりも弱く見える部分が
かえって必要なのです」(20-22節)


このように
教会の中でも
目立つ人もあれば目立たない人もあり
それによって
優越感を持つ人や
劣等感を持つ人も出てきがちではありますが
各々の役割は神から出ていて
自分の力ではないことを自覚すれば
それを誇ることも
また卑下することもなく
「一つの部分が苦しめば
すべての部分が共に苦しみ
一つの部分が尊ばれれば
すべての部分が共に喜ぶ」(25節)

との教えに立って
お互いを思いやる
愛のある教会になっていくでしょう

そして
最後の31節でパウロは
「あなたがたはもっと大きな賜物を受けるよう
熱心に努めなさい
そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます」

と語り
「もっと大きな賜物」
それはキリストにある「愛」であることを教える
『愛の章』と呼ばれる13章へと導いています

教会の中だけでなく
社会にあっても
一人一人の持つ役割は異なり
他者をうらやんだり、ねたんだりしないように
自分に与えられた役割を果たすことは重要です
ただそれは簡単な事ではなく
自分は神にあって生きていくのだと
そういう覚悟(信仰)があってこそできること
自分のがんばりや
世の中の人やモノに頼っても
思うようにはいきません

イエスの名による洗礼と聖霊とによって救われた者は
主イエスが全能の神であり
それに対して
自分が何者であるかを知ることができます
悩みの多い世の中ではありますが
弱いわたしたちを救ってくださる方が味方であることを信じて
常に希望をもって前進していきましょう

「わたしたちは知っています
神の子が来て
真実な方を知る力を与えてくださいました
わたしたちは真実な方の内に
その御子イエス・キリストの内にいるのです
この方こそ
真実の神、永遠の命です」
(ヨハネの第一の手紙5章20節)




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