今週のみことば


9月5日

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「つまり、アダムによって
すべての人が死ぬことになったように
キリストによって
すべての人が生かされることになるのです
ただ、一人一人にそれぞれの順序があります
最初にキリスト
次いで、キリストが来られる時に
キリストに属している人たち
次いで、世の終わりが来ます
そのとき、キリストはすべての支配
すべての権威や勢力を滅ぼし
父である神に国を引き渡されます」
(コリント人への第一の手紙15章22-24節)

今週は「復活」について記された15章の続きです

人類最初の人であるアダムの罪によって
人は必ず死ぬものとされましたが
キリストの救い(洗礼と聖霊)を受けることにより
すべての人が生かされることになりました
そして
キリストが再び来られる「再臨」の時には
まず先に亡くなったクリスチャンが復活し
その次に生き残っているクリスチャンが
空中でキリストと出会うために
彼らと一緒に引き上げられ
いつまでも主と共にいることになると
テサロニケ人への手紙4章には記されていますが
その時には
今の肉体のままではなく
キリストと同じ「栄光の体」になるのです

「キリストは
万物を支配下に置くことさえできる力によって
わたしたちの卑しい体を
ご自分の栄光ある体と同じ形に
変えてくださるのです」
(ピリピ人への手紙3章21節)


「復活」と聞くと
あたかも、死んだ人が
再びこの世に生き返ることのように
勘違いしそうになりますが
パウロが語る福音における「復活」は
主イエスの名による洗礼を受けた者が
この朽ちるべき体から
やがて、朽ちない栄光の体へと
変えられることを示しています
それが
キリストの来られるご再臨の時であり
その後にこの世の終わりが来て
その時には
今この世を支配しているすべての支配者も権威者もなくなり
死さえも滅ぼされ
「神がすべてにおいてすべてになられる」
というのです

更に、コリント人への手紙15章29節には
「死者のための洗礼」があることも記されています

「そうでなければ
死者のために洗礼を受ける人たちは
何をしようとするのか
死者が決して復活しないのなら
なぜ死者のために洗礼など受けるのですか」
(コリント人への手紙15章29節)


このように
人間が生きていても
死んだ後にさえも
主イエスの名による洗礼を受ける必要があるのは
キリストご再臨の時に
この身が復活し「栄光の体」に変えられて
「神の国」に入るためです

もし
神の国もなく、復活もないなら
「『食べたり飲んだりしようではないか
どうせ明日は死ぬ身ではないか』
ということになります」(32節)


しかし
神の国があるからこそ
わたしたちは自由奔放に生きるのではなく
自分を律して
「正気になって身を正しなさい」(34節)
パウロは述べています

さらに
35節からは
「復活の体」について
具体的に記されています

種が土にまかれる時
種が土の中で朽ちて
そこから芽が出て作物が生るように
「死者の復活もこれと同じです
まかれる時は朽ちるものでも
朽ちないものに復活し
まかれる時は卑しいものでも
輝かしいものに復活し
まかれる時には弱いものでも
力強いものに復活するのです
つまり、自然の体がまかれて
霊の体が復活するのです
自然の命の体があるのですから
霊の体もあるわけです」(42-44節)


最初の人は
土から作られた「地に属する者」
これに対して、第二の人は
「天に属する者」となります
つまり
まず自然の命の体があって
次いで霊の体がある
そして
この朽ちるべき自然の命の体が
主イエスの名による洗礼によって救われ
朽ちない霊の体(栄光の体)に変えられた時
次のみことばが実現するのです

「死は勝利に飲み込まれた
死よ、お前の勝利はどこにあるのか
死よ、お前のとげはどこにあるのか」(55節)

人生には思うようにいかないことが多く
どんなにがんばっていても失敗もあります
このように
物事がうまくいかないことは恐ろしく
それに加えて
疫病や災害など
人間の努力ではどうしようもない恐怖もあり
わたしたちは常に死の恐怖にさらされ
ともすれば死に支配されてしまうかもしれません
しかし
どんな状況でも神の助けがあるとの信仰は
わたしたちを平安に導きます

このように
主イエスの名による救いを受けて
やがて栄光の体に復活する恵みは
人生に希望を与えて下さいますから
今の苦労も決して無駄ではないことを信じて
一人一人、置かれたところで
しっかりと自分の務めを果たし
神に喜ばれる道を歩んでいきたいものです

「わたしの愛する兄弟たち
こういうわけですから
動かされないようにしっかり立ち
主の業に励みなさい
主に結ばれているならば
自分たちの苦労が決して無駄にならないことを
あなたがたは知っているはずです」(58節)




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