今週のみことば


1月2日
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〜2021年の聖言〜

彼は望むべくもあらぬ時に
なほ望みて信じたり


(ロマ書4章18節前半)



今年当教会に与えられた年頭のみことばは上記の通りです

この18節全体を口語訳では
「彼は希望するすべもなかったときに
なおも望みを抱いて、信じ
『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに
多くの民の父となりました」

と記しているように
ここはアブラハムに子どもが与えられるという神の約束を
年老いたアブラハムが信じたところです

常識的には
子どもが持てる年齢ではなかったアブラハムとサラ夫妻にとって
その約束は信じ難いものでしたが
「彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく
むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました」(20節)

この後、神は約束通り
彼に息子イサクを与えます

これについての詳しい記述は
創世記にありますが
創世記17章17節を見ると
初めに神の約束を聞いたアブラハムは
ひれ伏し、しかし笑って
ひそかに
『百歳の男に子どもが生まれるだろうか
90歳のサラに子どもが産めるだろうか』
と言っています
アブラハムとてやはり人間ですから
これには非常に驚いた事でしょう
ただ彼は
「神は約束したことを
実現させる力もお持ちの方だと
確信していたのです
だからまた
それが彼の義と認められたわけです」
(ローマ人への手紙4章20節)


常識的には望みのないような状態になった時
多くの人は希望を失いがちですが
信仰者の場合は
その信仰ゆえに希望を持ち続けることができるのです

昨年の年頭のみことばは
コリント人への第一の手紙2章16節
「然(さ)されど我らは
キリストの心を有(も)てり」

でした

イエスの名による救いを受けたクリスチャンは
キリストの心を持っています
すなわち
神ご自身であるところの聖霊を持つことで
その神を信じる信仰を持っている
そして
この信仰があるからこそ
どんな時にも希望があるのです

「希望はわたしたちをあざむくことがありません
わたしたちに与えられた聖霊によって
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」
(ローマ人への手紙5章5節)


この世に生きている限り
わたしたちは様々な災いや困難といつも隣り合わせで
人の言葉に惑わされていると
希望を見出すことができなくなります

聖書に記された神の言葉は
信じない人には愚かと思えても
信じるわたしたちには
いつも希望を与えてくれるものですから
どんな時にも
どんな所からも
必ず神の助けがあると信じて
希望のある一年を過ごすことができますように



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