今週のみことば

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11月13日

「しかし、あなたは
健全な教えにかなうことを語りなさい
老人たちには自らを制し
謹厳で、慎み深くし
また、信仰と愛と忍耐とにおいて
健全であるように勧め
年老いた女たちにも、同じように
たち居ふるまいをうやうやしくし
人をそしったり
大酒の奴隷になったりせず
良いことを教える者となるように
勧めなさい」
(テトスへの手紙2章1-3節)


1章では指導者に対する教えが記され
続く2章では
一般の人々に対して「健全な教え」
つまりクリスチャンとしての心得が
記されているわけですが
そこに書かれていることはみな
キリストの心から出る良い行いであり
この信仰に基づく良い行いによって
周りの人にも良い影響を与えるように
心がけるよう教えています
それは
このような生き方を学ぶことにより
神の栄光をあらわす者として
成長してほしいからなのです

「そうすれば、彼らは万事につけ
わたしたちの救い主なる神の教えを
飾ることになろう」(10節)


しかし、人間には「自分」というものがあって
「健全な教え」に対して
自分の思いがじゃまをするため
自分の力で正しく生きることは難しい
そんな人間の弱さを救うのが
「キリストによる救い」なのです

「すべての人を救う神の恵みが現れた
そして、わたしたちを導き
不信心とこの世の情欲とを捨てて
慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し
祝福に満ちた望み
すなわち、大いなる神
わたしたちの救い主
キリスト・イエスの栄光の出現を
待ち望むようにと教えている」(11‐13節)


こうして
主イエスの名による洗礼と聖霊にあずかり
救われてクリスチャンとなった者は
「すべての不法」からあがない出され
「良いわざに熱心な選びの民」と
されたのですから(14節)
自分の思いは色々あっても
思い通りの人生ではないとしても
そこにキリストの心をもって考え行動することで
分別のある生き方をして行くことが大切です

救われてもなお
わたしたちの心に欲は残るため
自分の思いに負けて欲を起こし
得になるような言葉に
惑わされることもあるかもしれません
このように
聖書の教える「健全な教え」とは別に
自分はこうなりたいとの「思いとの戦い」はあっても
そこをわきまえていくのが「信仰」の力です

つまり
「信仰」は
わたしたちが正しく生きるための抑止力となり
愛に根ざした生き方へと導くもの
そして
思うようにならないことがあっても
すべてが幸いになるのだと
信じることができる人こそ
キリストを喜ばせる人なのです

現代は
一般的には神の姿を見ることはないとしても
思わぬ道が開かれていく
神の働きの証はたくさん起こります
信仰は単なる理想を語るものではなく
実際に体験して得るものですから
そのためにも
聖書を通して正しい信仰感を教えられ
何が大切であるかを学ぶ必要があるのです


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