今週のみことば


1月16日

(スマートフォン用ページはこちら


「わたしは誇らずにはいられません
誇っても無益ですが
主が見せてくださった事と
啓示してくださった事について語りましょう
わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが
その人は14年前
第三の天にまで引き上げられたのです
体のままか、体を離れてかは知りません
神がご存知です」
(コリント人への第二の手紙12章1‐2節)

11章において
”自分の弱さ以外のことは誇らない”と言ったパウロは
ここでは
14年前に神から見せられたことについて
あたかも自分ではないかのように語り
このような尊い経験をしたことを誇りとしています

彼は、2節では「第三の天」まで
4節では「楽園」まで引き上げられたと語っていますが
どちらにしても
そこは神のおられるところで
神によらなければ行くことのできないところです
そして
そこで神からの啓示を受けた
これについて誇ろうと思えば
真実なのだから誇ることもできるけれど
彼はそれを誇らず
自分に与えられた「弱さ」について語ります

「また、あの啓示されたことが
あまりにもすばらしいからです
それで、そのために思い上がることのないようにと
わたしの身に一つのとげが与えられました
それは、思い上がらないように
わたしを痛めつけるために
サタンから送られた使いです」(7節)


パウロの身に与えられた「とげ」は
具体的には”目の病気”ではないかと言われていますが
何にしてもこの”サタンからの使い”に痛めつけられたパウロは
この悩みのもとを離れ去らせてくださいと
神に3度お願いします

「すると主は
『わたしの恵みはあなたに十分である
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』
と言われました
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように
むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(9節)


悩みから解放されたいと3度祈ったのに
帰ってきた答えは
癒してあげよう・・・ではなく
そのままでいい・・・でした
これは人間的にはがっかりする内容ですが
その弱さがあるからこそ神の力が発揮される
だから弱さはそのままで
神の力を体験することが重要なのです

また
ここで「弱さ」というのは
病気や悩み、力のなさ等のほかに
「信仰」も人から見れば弱さの一つとなるでしょう
そして
この弱さによって
神の力を見ることができるなら
何者も、何事も恐れない強さを
身に着けることができるのです

「それゆえ、わたしは弱き、侮辱、窮乏、迫害
そして行き詰りの状態にあっても
キリストのために満足しています
なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです」(10節)


パウロはここまで様々な弱さを抱え
困難と行き詰まりを感じつつ
そのたびに助けられてきました
弱さがあるからこそ神の働きがある
だから弱さを誇りとし
堂々と公言しています

しかし
そんな彼の心情はなかなか理解されず
コリントの教会には誤解がありました
彼は3回目のコリント訪問を計画中ですが
これまで、コリントの人々に負担をかけないようにしていても
いつの間にかだまし取ったことになっているのです

「あなたがたに負担はかけません
わたしが求めているのは
あなたがたの持ち物ではなく
あなたがた自身だからです」(14節)


パウロ自身は自分を取るに足らない人間だと思っていても
それでも彼には神の力が働いて
これまで多くの奇跡や不思議な業も行ってきました
それによって自分を使徒として信用してほしいと願いつつ
実際にコリントに行って皆に会った時には
お互いが失望し、トラブルが起こるのではないか
また、以前罪を犯した人々が
悔い改めないままでいるのではないか・・・
パウロは様々な事を想像して恐れているのでした



<目次