今週のみことば
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12月11日
「家はすべて
だれかによって造られるものであるが
すべてのものを造られた方は、神である」
(ヘブル人への手紙3章4節)
3章は
まず「大祭司イエス」のことを考えるように
との言葉から始まります
この「大祭司」とは人が選んだ役職ではなく
神ご自身のことを表しており
かつてイスラエルの指導者であったモーセと
主イエスの立場の違いに言及しています
つまり
モーセは神の家全体に忠実な人でしたが
主イエスは
神の家そのものを造られた方であり
神の家を治めることに忠実な方
そして
家を造る者が家そのものより尊ばれるように
神の家に対する誉れは
すべて主イエスに帰すべきものなのです
どんな家でも誰かが造るように
万物を造られた方は神です
神によって創造された人間は
自分の力で生きているように思えても
すべての人は
神のご計画のうちに生かされており
自分の内に聖霊をいただいているクリスチャンは
自分自身を「神の神殿」として
主イエスに対する信仰を
堅く保つことを求められています
それは
自分自身が「主の作品」として
「神の家」と呼ばれるにふさわしく歩むために
この信仰が最も重要だからです
「もしわたしたちが望みの確信と誇りとを
最後までしっかりと持ち続けるなら
わたしたちは神の家なのである」(6節)
人生には様々な試みがあって
思うようにいかない日々が続いたとしても
それでも神の助けに希望を置いて歩む
そう信じていくことが信仰ですが
この信仰がなければ
心が揺れて迷うことになるでしょう
あるいは反対に
物事が上手くいき、自分がほめられる時
それは本来
主イエスがほめられるべきでありながら
自分の立場を勘違いし
神の助けを忘れ
栄光をとってしまうかもしれないのです
「兄弟たちよ、気をつけなさい
あなたがたの中には
あるいは、不信仰な悪い思いをいだいて
生ける神から離れ去る者があるかもしれない
あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って
心をかたくなにする者がないように
「きょう」といううちに
日々、互いに励まし合いなさい」(13節)
かつて荒野において
神に背いたイスラエルの民は
心をかたくなにし
どんなに神の助けを経験しても
彼らの心はいつも迷っており
しばしば不信仰に陥っていました
そのため彼らにはいつも
安息が与えられなかったのです
「また、神が
わたしの安息にはいらせることはしない
と誓われたのは
だれに向かってであったか
不従順な者に向かってではなかったか
こうして、彼らが入ることのできなかったのは
不信仰のゆえであることがわかる」(18節)
人生思うようにいかないことが多いとしても
主イエスが愛をもって
わたしたちを助けてくださることを信じ
その愛にこたえるように歩むこと
そして
その助けはすべて神によるものであると
すべての事を神に栄光を帰していく
心迷うことはあっても
教会に集うことで神をあがめる機会を持ち
不信仰に陥って平安を失わないように
お互いが励まし合って
その信仰を堅く保っていきましょう
「あなたがたは神の宮であって
神の御霊が自分の内に宿っていることを知らないのか
もし人が、神の宮を破壊するなら
神はその人を滅ぼすであろう
なぜなら、神の宮は聖なるものであり
そして、あなたがたはその宮なのだからである」
(コリント人への第一の手紙3章16‐17節)
「御子を信じる者は、永遠の命を持つ
御子に従わない者は
命にあずかることがないばかりか
神の怒りがその上にとどまるのである」
(ヨハネによる福音書3章36節)
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