今週のみことば


12月25日

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「大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて
罪のために供え物といけにえとをささげるように
人々のために神に仕える役に任じられた者である
彼は自分自身、弱さを身に負うているので
無知な迷っている人々を思いやることができると共に
その弱さのゆえに
罪についてささげものをしなければならないのである
かつ、だれもこの栄誉ある務めを自分で得るのではなく
アロンの場合のように
神の召しによって受けるのである」
(ヘブル人への手紙5章1-4節)


人間の大祭司は
神に選ばれて任命されるものですが
人間であるがゆえに自分も「弱さ」を持っており
そのために
「弱さ」を持つ人々の事を理解し
思いやることができます
そして
その弱い人々のために
また弱い自分のためにも
罪をあがなう供え物を
ささげなくてはなりませんでした

これと同様にキリストも
「大祭司」としての栄誉を
『あなたこそは、わたしの子
きょう、わたしはあなたを産んだ』
と言われた方
つまり神から与えられ
『あなたこそは、永遠に
メルキゼデクに等しい祭司である』(6節)

と言われています

では
メルキゼデクとは何者なのでしょうか?
この名称は創世記から登場し
ヘブル人への手紙7章においては
”神の子のよう”と表現され
人間の大祭司とは明らかに違う様子が
そこに記されています
つまり
メルキゼデクは人間ではない
そして
同じように
主イエスも人間ではなく
神が肉体をもって生まれた姿であり
御子としての立場で十字架の苦しみを通り
それによって
神の救いのご計画が成就したのです

「彼は御子であられたにもかかわらず
さまざまの苦しみによって従順を学び
そして、全き者とされたので
彼に従順であるすべての人に対して
永遠の救いの源となり
神によって
メルキゼデクに等しい大祭司と
となえられたのである」(8‐10節)


この内容は理解しがたく
それについて著者も
「あなたがたの耳が鈍くなっているので
それを説き明かすことはむずかしい」(11節)

と記していますが
わたしたちがここを読む時に
まず重要なのは
”神が肉体をもった人間(イエス)となり
自らがいけにえとなって十字架にかかり
万人に救いの道を開いた”ことを
理解することでしょう

ここがキリスト教における大切なポイントですが
主イエスが神であると理解できないことが
当時から不信仰の元となっており
そのために
こうして主イエスの立場というものを
”メルキゼデクに等しい大祭司”として
人間とは全く違うのだと
強調しているのではないでしょうか

こうして
天地創造の唯一の神が
救い主としての「職分」のために
御子イエスの立場になり
同時に大祭司の「職分」をもち
やがて聖霊としての「職分」をもって
救いにあずかるクリスチャン一人一人の中に
宿って下さることとなりました

しかし
救いにはあずかったものの
わたしたちの信仰が幼子のままでは
神の言葉を理解することができず
物事の善悪を見分けることも難しいので
なかなか平安を得ることができません

「すべて乳を飲んでいる者は、幼子なのだから
義の言葉を味わうことができない
しかし、堅い食物は
善悪を見分ける感覚を
実際に働かせて訓練された成人の
とるべきものである」(13‐14節)


人間は弱いので
聖霊による助けや導きがあると教えられながら
実際にはこの世にあって
右往左往することもあるわけですが
それでも
わたしたちを助けてくださる神がどなたなのか
その存在をしっかりつかんで信頼していくところに
神の言葉は生きてきます

人の言葉に惑わされて動揺しないように
神の言葉を信じて
迎えます新しい年も
クリスチャンとして成長していくことができますように



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