今週のみことば


2月20日

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「わたしが言いたいのは、こうです
神によってあらかじめ有効なものと定められた契約を
それから430年後にできた律法が無効にして
その契約を反故にすることはないということです
相続が律法に由来するものなら
もはや、それは約束に由来するものではありません
しかし神は、約束によって
アブラハムにその恵みをお与えになったのです」
(ガラテヤ人への手紙3章17‐18節)


アブラハムに対する神の約束については
創世記に以下のように記されています

「主はアブラムに言われた
『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝し、あなたの名を高める
祝福の源となるように
あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る』」
(創世記12章1‐3節)

「主は彼を外に連れ出して言われた
『天を仰いで、星を数えることができるなら
数えてみるがよい』
そして言われた
『あなたの子孫はこのようになる』
アブラムは主を信じた
主はそれを彼の義と認められた」
(創世記15章5‐6節)


アブラハムがまだアブラムと名乗っていた時代に
神は彼に祝福の約束をし
15章の13節以降では
彼の子孫がやがてエジプトの地で寄留者となり
400年の間奴隷とされることと
その後エジプトを脱出することに言及しています

この言葉通り
アブラハムの子孫であるイスラエルの民は
モーセを指導者としてエジプトを出ました
そして
この旅の途中で与えられたのが
「モーセの十戒」に代表される「律法」です

ガラテヤ人への手紙3章に戻ります

アブラハムに対して語られた神の約束は
「アブラハムとその子孫」に告げられたものですが
「その子孫」とは
キリストのことを指しています(16節)

そして
洗礼を受けて
キリスト・イエスに結ばれた者は皆
いかなる人種であれ
身分も性別も関係なく
アブラハムの子孫となり
祝福の相続人とされるのです

「あなたがたは皆、信仰により
キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆
キリストを着ているからです
そこではもはや
ユダヤ人もギリシア人もなく
奴隷も自由な身分の者もなく
男も女もありません
あなたがたは皆
キリスト・イエスにおいて一つだからです
あなたがたは
もしキリストのものだとするなら
とりもなおさずアブラハムの子孫であり
約束による相続人です」(26‐29節)


このように
アブラハムの祝福の約束にあずかるために
必要なのは「律法の行い」ではなく
イエスの福音を信じ
洗礼を受けて救われることです

「では、律法とはいったい何か
律法は、約束を与えられたあの子孫が来られる時まで
違犯を明らかにするために付け加えられたもので
天使たちを通し
仲介者の手を経て制定されたものです」(19節)


律法は
”約束を与えられたあの子孫”
つまり、キリストがこの世に生まれ
人類に救いが与えられる時まで
違犯を明らかにするためにできたもの
すなわち
律法があることで
人間の持つ弱さが明らかにされ
人間には完全に正しい者は一人もいないことを
わたしたちは思い知らされるのです

「それでは、律法は
神の約束に反するものなのでしょうか
決してそうではない
万一、人を生かすことができる律法が与えられたとするなら
確かに人は律法によって義とされたでしょう
しかし、聖書は
すべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです
それは、神の約束が
イエス・キリストへの信仰によって
信じる人々に与えられるようになるためでした」(21‐22節)


律法は人を罪に定めるもので
人を生かすものではありません
こうして人は皆、罪の支配下に置かれましたが
それはやがて来るキリストへの信仰によって
わたしたちが救いにあずかるためであり
律法は
人間をキリストに導く「養育係」となったのでした
しかし、今はもう信仰による救いがあるので
この養育係は不要になったというわけです

「神はアブラハムやその子孫に
世界を受け継がせることを約束されたが
その約束は
律法に基づいてではなく
信仰による義に基づいてなされたのです」
(ローマ人への手紙4章13節


そして
イエスを信じ
キリストのものとされたクリスチャンは
現在も
この不安の多い世の中で
どこにいても神が共にいて
必ず助け導いてくださるとの祝福の約束にあずかり
安心して歩むことができるようにされています
しかも祝福の相続人であることは
生涯変わることはありません

信仰とは
神の約束の言葉を信じ
疑わず、希望をもって歩むこと
どんな時も
祝福の相続人とされていることを心に留めて
平安のうちに歩むことができますように

「わたしは世の終わりまで
いつもあなたがたと共にいる」
(マタイによる福音書28章20節)



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