今週のみことば


3月20日

(スマートフォン用ページはこちら


「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は
ほめたたえられますように
神は、わたしたちをキリストにおいて
天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して
ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと
キリストにおいてお選びになりました
イエス・キリストによって神の子にしようと
御心のままに前もってお定めになったのです」
(エペソ人への手紙1章3‐5節)


エペソ人への手紙は
まず、キリストの血による救い(洗礼)が
神の恵みによるものである事を
強調するところから始まっています
それは天地創造の前から定められたことであり
神は人間を愛し
神の子にしようと選んでくださった
そして
わたしたちはキリストの御計画によって召され
救いにあずかり
神の祝福を約束された相続者として
キリストを信じるクリスチャンになりました
その時には
救いをもたらす福音を聞き
聖霊を受ける恵みにもあずかっています

「この聖霊は
わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり
こうして、わたしたちは贖(あがな)われて神のものとなり
神の栄光をたたえることになるのです」(14節)


さて
3節の冒頭から
”主イエス・キリストの父である神”と記されているように
ここでは「父なる神」と「御子イエス」が
別々に存在しているかのように誤解しがちです
しかし
これについてはイエスご自身が
はっきりと以下のように述べられていることから
「父なる神」=「御子イエス」であることがわかります

「フィリポが
『主よ、わたしたちに御父をお示しください
そうすれば満足できます』と言うと
イエスは言われた
『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに
わたしが分かっていないのか
わたしを見た者は、父を見たのだ』」
(ヨハネによる福音書14章8‐9節)

「わたしと父とは一つである」
(ヨハネによる福音書10章30節)


天地創造の神は唯一の神
そして、その神が人間の肉体をもって生まれた姿が
イエス・キリストです
人類を救う血を流すための肉体は
十字架上でその役目を果たしました
そして
イエスの復活から50日後
今度は「聖霊」が降ってきて人に宿り
神の姿は見えなくても
一人一人の中に
神が共に居てくださる事になったのです

この「聖霊」も神ご自身ですから
「父なる神」=「御子イエス」=「聖霊」
ということになります

「洗礼」と「聖霊」による救いについては
ヨハネによる福音書3章5節に
「イエスはお答えになった
『はっきり言っておく
だれでも水と霊によって生まれなければ
神の国に入ることはできない」

と記されていますが
この救いを受けるにあたっては
わたしたちの行いが影響するものではありません

「神がわたしたちを救い
聖なる招きによって呼び出してくださったのは
わたしたちの行いによるのではなく
御自身の計画と恵みによるものです」
(テモテへの第二の手紙1章9節)


こうしてわたしたちは
自分の行いによらず
神の招きと恵みによって救いに入れられ
クリスチャンとなったのです
そして
内側に宿る聖霊の働きによって
各々の進むべき道が示され
物事を正しく判断できるように
心の目を開かれて
この不安の多い世の中を
希望をもって進むことができるようにされている
それは
神に希望を置いて歩む者が
本当に恵みを受けることにより
神の栄光を讃えるようになるためなのです

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神
栄光の源である御父が
あなたがたに知恵と啓示との霊を与え
神を深く知ることができるようにし
心の目を開いてくださるように
そして、神の招きによって
どのような希望が与えられているか
聖なる者たちの受け継ぐものが
どれほど豊かな栄光に輝いているか
悟らせてくださるように
また、わたしたち信仰者に対して
絶大な働きをなさる神の力が
どれほど大きなものであるか
悟らせてくださるように」
(エペソ人への手紙1章17‐19節)


「キリストの体」である教会には
頭であるキリストによる知恵と力があり
そこには様々な「神の証」があります

人はどうしても物事を肉の目で見るため
外見にだまされやすいものですが
教会においては
一人一人が恵まれた道を歩むことができるように
神を知り、神に従っていくことをお勧めしています

神がどのような方であるかを知るほど
人は自分がどのようなものであるかをわきまえることができ
その結果として
正しい道へと導かれるのです

「教会はキリストの体であり
すべてにおいてすべてを満たしている方の
満ちておられる場です」(23節)



<目次