今週のみことば


5月29日

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「わたしたちはいつもあなたがたのために祈り
わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝している
これはキリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と
すべての聖徒に対して抱いているあなたがたの愛とを
耳にしたからである
この愛は
あなたがたのために天にたくわえられている望みに基づくものであり
その望みについては
あなたがたはすでに
あなたがたのところまで伝えられた
福音の真理の言葉によって聞いている
そして、この福音は
世界中至るところでそうであるように
あなたがたのところでも
これを聞いて神の恵みを知ったとき以来
実を結んで成長しているのである」
(コロサイ人への手紙1章3‐6節))


コロサイの教会の人々の信仰が成長し
実を結んでいることを
パウロは喜びつつ神に感謝し
この手紙を書いています

彼らは福音によって「神の救い」を知り
「望み」すなわち「希望」を与えられました
「希望」とは
一般的には自分の願いが成ることかもしれませんが
現実には
人の願う富や名声を持っていても
そこに本当の希望があるわけではありません
それについては
人の願うものを以前は持っていたパウロ自身が
キリストにある「希望」を知ってからは
それまで大切だと思っていたものが
今はゴミクズのように思えると語っているとおりです

コロサイの教会の人々は
神の恵みの言葉を聞いて
洗礼と聖霊とによる救いにあずかり
信仰が実を結んで成長していました
それは
どんなところにあっても
神に希望を置き(信じ)
神の御業を体験しつつ(助けられて)
自分に与えられた道を
神と共に歩んでいくことを示しています

「そういうわけで
これらの事を耳にして以来
わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは
あなたがたがあらゆる霊的な知識と理解力とをもって
神の御旨を深く知り
主のみこころにかなった生活をして
主を喜ばせ
あらゆる良いわざを行って実を結び
神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである」
(9‐10節)


パウロはここで
福音を通して「神について」語り始めます
まず大切なのは「神の御旨(御心)」を悟ること
人はどうしても自分の理想を考えがちですが
神のなさることに
(それが自分の理想通りではなくても)
決して悪いことはありません
そして
信仰生活を通して
神の側に立った歩み方(考え方)を学び
その結果によって
「神を知る」に至ることが重要なのです

なぜ「神を知る」ことが重要なのかについては
ローマ人への手紙12章2節に
以下のように記されています
「あなたがたはこの世にならってはなりません
むしろ、心を新たにして自分を変えていただき
何が神の御心であるか
何が善いことで
神に喜ばれ
また完全なことであるかを
わきまえるようになりなさい」


わたしたちはみなこの世に生きている限り
この世にある規則に従って生きていかなくてはなりません
信仰するというのは
社会常識を無視することではないからです
しかし
何が正しいことであるかという価値観については
この世の考え方で生きていると
本当に大切なことが分からなくなって
人にふりまわされる空しい人生を送ることになりかねません

このように
この世の考え方(価値観)で生きていると
神の考え方で生きることができないため
わたしたちは救われて
その心が変えられていき
神にある正しい価値観で生きていくようになることを
求められているのです

さらに
コロサイ人への手紙1章11節以降には
闇の中から救われて、神の支配下に置かれ
神を知った人の生き方が記されています

「更にまた祈るのは
あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜る
すべての力によって強くされ
何事も喜んで耐えかつ忍び
光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者と
ならせてくださった父なる神に
感謝することである
神はわたしたちを
闇の力から救い出し
その愛する御子の支配下に移してくださった」
(11‐13節)


また
15節からは
「御子イエス」=「天地創造の神」であることが
具体的に述べられています

「御子は、見えない神の形であって
すべての造られたものに先だって
生まれたかたである
万物は、天にあるものも地にあるものも
見えるものも見えないものも
位も主権も、支配も権威も
みな御子にあって造られたからである
これらいっさいのものは
御子によって造られ
御子のために造られたのである
彼は万物よりも先にあり
万物は彼にあって成り立っている」
(15-17節)


御子イエスは天地創造の前から存在し
すべてのものは御子によって造られ
御子によって支えられている
また
御子は「教会のかしら」であり
すべてのことにおいて「第一の者」
そして
十字架の血によって平和を打ち立て
すべての人に救いの道が開かれたのです

「あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ
心の中で神に敵対していた
しかし今では
御子はその肉のからだにより
その死を通して
あなたがたを神と和解させ
あなたがたを聖なる、傷のない
責められるところのない者として
みまえに立たせてくださったのである」(21‐22節)


この十字架の血による救い(洗礼)と聖霊は
神の恵みと憐れみによって与えられるものであって
人の努力によるものではありません

「わたしたちの行った義のわざによってではなく
ただ神のあわれみによって
再生の洗いを受け
聖霊により新たにされて
わたしたちは救われたのである」
(テトスへの手紙3章5節)

「イエスは答えられた
『よくよくあなたがたに言っておく
だれでも、水と霊とから生まれなければ
神の国に入ることはできない」
(ヨハネによる福音書3章5節)

「するとペテロが答えた
『悔い改めなさい
そして、あなたがたひとりびとりが
罪のゆるしを得るために
イエス・キリストの名によって
バプテスマを受けなさい
そうすれば
あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」
(使徒行伝2章38節)


キリストの福音は
イエスの名による救いを受けて
キリストと共に生きるところの
「命を得る信仰」を教えています

クリスチャンは
神から与えられた恵みを受け継ぐ者とされ
更には他の人々にも
この希望が受け継がれていく事を願い
自らを神の証人として
キリストの心を心とし
潔く生きていくことを求められています

神に希望をおいていると
神の良き導きのうちに
すべての試練を乗り越えることができる
その幸いにあずかりながら
いよいよ神を知り
感謝していくことができる人は幸いです

「神は、その豊かなあわれみにより
イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ
それにより、わたしたちを新たに生まれさせて
生ける望みをいだかせ
あなたがたのために天にたくわえてある
朽ちず汚れず
しぼむことのない資産を
受け継ぐ者として下さったのである」
(ペテロの第一の手紙1章3‐4節)


パウロはコロサイの教会の人々が
福音の希望から離れていくことがないように
そして
すべての人がキリストによって救われて
完全な者として成長するように
心を尽くし知恵を尽くして
その与えられた務めを全うしようと闘っているのです



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