今週のみことば


6月26日

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「神に愛されている兄弟たちよ
わたしたちは、あなたがたが
神に選ばれていることを知っている
なぜなら、わたしたちの福音が
あなたがたに伝えられた時
それは言葉だけによらず
力と聖霊と強い確信とによったからである
わたしたちが、あなたがたの間で
みんなのためにどんなことをしたか
あなたがたの知っているとおりである
そしてあなたがたは
多くの患難の中で
聖霊による喜びをもって御言を受け入れ
わたしたちと主にならう者となり
こうして、マケドニアとアカヤにいる
信者全体の模範になった」
(テサロニケ人への第一の手紙1章4‐7節)


テサロニケの教会の人々は
イエスの福音をよく受け入れ
偶像を捨てて神に立ち帰ったので
そこに神の働きを実感したパウロたちは
とても喜んでいました

というのも
パウロたちは福音について
言葉をもって熱心に語りましたが
そこに神の力が働いたことにより
聖霊の力によって
人々に確信が与えられたのを見て
彼らが神から愛されていることが
よく分かったからです

キリストは
人を救い、助け導く全能の神であるとの確信は
人の言葉だけで与えられるものではありません
そこに実際に神の働きや平安があってこそ
人は本物の確信を持つことができるのです

そして
その確信があるため
テサロニケの教会の人々は
どんな苦しい所にあっても忍耐して
希望をもって進んでいるのでした

こうして彼らは
「主キリストにならう者」となり
「信者全体の模範」として
成長していったのです

「また、ゆだねられた者たちの上に
権力をふるうことをしないで
むしろ
群れの模範となるべきである」
(ペテロの第一の手紙5章3節)


これは長老たちに対する教えとして
「主にならう者」とは
どのようになっていくべきかが
具体的に記されている箇所です

上に立つ立場の人は
偉そうになって
権力をふるうようなことをしてはいけません
しかし
自分の感情や欲のままに行動すれば
その心をサタンに捕らえられ
間違った道に進んでいても
本人は気づかないものです
これは
神ではなく
偶像に仕えているのと同じこと
つまり
偶像崇拝をしていることになるわけです

テサロニケ人への手紙1章に戻り
9節に記された
「偶像を捨てて神に立ち帰り」
というみことばは
別の宗教からキリスト教に乗り換えるといった
単純なことではなく
その人の考え方が
「主キリストにならう者」として
変わっていくことを求めているものです

例えクリスチャンになっても
その考え方や生き方が
自分の感情や欲にふりまわされて
物事を正しく見ることができなければ
サタンにほんろうされている
つまり、偶像崇拝をしているのと同じなのです

人間にはみな
それぞれの「思い」がありますが
悩みのうちにあっても
「主にならう者」としての正しい心が保たれ
聖霊から来る喜びや平安に満たされて
神に希望を置いて生きていくことは
単なる理想や空想の世界ではなく
神の働きによって本当に成ることです

日々の歩みの中に神を見出し
感謝に感じ
神に愛される者として
正しい道に従って歩み
穏やかに生きていくことができますように


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