今週のみことば


7月10日

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「そこで、わたしはこれ以上耐えられなくなって
もしや、”試みる者”があなたがたを試み
そのためにわたしたちの労苦が
むだになりはしないかと気づかって
あなたがたの信仰を知るために
彼をつかわしたのである」
(テサロニケ人への第一の手紙3章5節)


パウロがやがて捕らえられることは
テサロニケの教会の人々に知らせてありましたが
実際にそうなった今
彼らが動揺していないだろうか
また「試みる者」によって
その信仰が揺らいでいないだろうか
もしかすると
自分たちの苦労も無駄になってしまうのか?!
パウロは大変心配になって
テモテをテサロニケにつかわします

その後
帰ってきたテモテの報告によって
彼らの信仰は揺らぐことなく
使徒たちへの信頼も
変わっていないことを知らされると
パウロは安堵し
非常に慰められたのでした

「兄弟たちよ
それによって、わたしたちは
あらゆる苦難と患難との中にありながら
あなたがたの信仰によって慰められた
なぜなら
あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら
わたしたちはいま
生きることになるからである」(7-8節)


テサロニケの教会の人々が
どんな状況の中でも
信仰に堅く立って生きてくれることは
パウロにとって生きがいなのです

ですから
その報告をテモテから受けた時
「どんな感謝を神に捧げたらよいだろうか」(19節)と
喜びの大きさが如何ほどであるかを記し
更には
テサロニケの教会において
お互いが愛をもって
神の前にいよいよ成長していくように
強く願っているのです

「どうか、主が
あなたがた相互の愛と
すべての人に対する愛とを
わたしたちがあなたがたを愛する愛と同じように
増し加えて豊かにしてくださるように」(12節)


マタイによる福音書4章には
主イエスがサタンに試みられる記述があります
荒野で40日間断食した後
”試みる者”がきて言いました
『もしあなたが神の子であるなら
これらの石がパンになるように
命じてごらんなさい』
イエスは答えて言われた
『人はパンだけで生きるものではなく
神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである』

サタンは信仰者をおとしいれようと
様々な試みをもってやってきますが
その時、心の内で
「神の思い」と「自分の思い」の戦いが起こり
神の思いに立つ人は希望を得
自分の思いに立つ人は
その信仰が揺らいで
人生に失望してしまいます

この心の戦いに勝利するためには
聖霊の働きが必要であり
神に対する良い思いを
日常生活の中で心にとめて歩むこと
それが重要になります

また
創世記22章において
アブラハムが
一人息子イサクをささげるように命じられたように
その人の信仰を試すための
神からの試みもありますが
その場合は
決して悪いことにはならず
むしろ、試みに会うことで
人の心の痛みを知ることができ
その結果
他の人からの信頼を得ることができる
そのような
心の成長にもつながっていくものです

テサロニケの教会の人々は
試みる者にその信仰を揺るがされることがなく
神にあって雄々しく成長していました

「目を覚ましていなさい
信仰に立ちなさい
男らしく、強くあってほしい
いっさいのことを
愛をもって行いなさい」
(コリント人への第一の手紙16章13‐14節)


これはクリスチャンがみな目標とすることであり
どんな状況にあっても
常にみことばを思い出して
前を向いて進むことができたら幸いです

その人の信仰については
人には上辺の行いしか見えませんが
神は常に心の中を見ておられ
牧師もまた
その人の信仰がどのような状態にあるかを
いつも心配しています
ですから
試練を乗り越えて
神と共に歩もうとする人を見ると
パウロのように自分が励まされ
その人の信仰の成長によって
こちらも勇気を与えられるのです

そもそもわたしたちはみな
自分の功績ではなく
神の愛による救済、すなわち
神の恵みによって救われてクリスチャンになりました
これは
神からの賜物であって
わたしたちは
神が準備してくださった道を
神と共に希望をもって歩むこと
それが恵まれた人の生き方です

「あなたがたの救われたのは
実に、恵みにより
信仰によるのである
それは、あなたがた自身から出たものではなく
神の賜物である
決して行いによるのではない
それはだれも誇ることがないためなのである」
(エペソ人への手紙2章8‐9節)


せっかく与えられた恵みを無駄にしないように
神にあって堅く立ち
その信仰をしっかりと守って
平安を与えられて歩んでいきましょう



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