今週のみことば


7月17日

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「最後に、兄弟たちよ
わたしたちは主イエスにあって
あなたがたに願いかつ勧める
あなたがたが
どのように歩いて神を喜ばすべきかを
わたしたちから学んだように
また、いま歩いているとおりに
ますます歩き続けなさい」
(テサロニケ人への第一の手紙4章1節)


”神を喜ばせる歩み”とは
神から召された者にふさわしく
高ぶることなく、柔和で
寛容の心を持ち
愛をもって互いに忍耐し
平和のきずなで結ばれて
聖霊の一致を保っていくことだと
エペソ人への手紙4章1‐3節に記されています

このように
神のみこころは
キリストにある者が清くなることであり
そのためには
みだらな行いを避け
情欲をほしいままにせず
人をあざむくことのないように
各々が注意しなくてはなりません

「神がわたしたちを召されたのは
汚れたことをするためではなく
清くなるためである
こういうわけであるから
これらの警告を拒む者は
人を拒むのではなく
聖霊をあなたがたの心に賜る神を拒むのである」
(7‐8節)


なお
「みだらな行い」や「情欲」については
単に肉欲の問題のみならず
霊における問題としても
知っておく必要があります
つまり
聖書においての「淫行」は「偶像崇拝」につながり
神ではない者へ心が奪われていくことにより
わたしたちの考えや行動が
神の愛から離れたものになっていく恐れをもあらわしているのです

クリスチャンとしての生き方は
あくまでも「神にならう者」としての歩みが基本ですから
サタンの惑わしによって
その歩みが外れて行かないように
そして
もし神を捨ててサタンに誘われていくならば
その先にあるのは滅びであると
聖書は警告しているわけです
また
このような滅びの道を歩まず
互いに愛し合うことを学んだうえで
クリスチャンはどのように生活していくべきかが
以下のように記されています

「そして
わたしたちが命じておいたように
落ち着いた生活をし
自分の仕事に励み
自分の手で働くように努めなさい
そうすれば
外部の人々に対して品位をもって歩み
だれにも迷惑をかけないですむでしょう」
(11‐12節)

信仰するということは
決して非常識になることではありません
与えられた仕事や立場が自分の思いと違っていても
それを自分の仕事として受け止め
まじめに働いていくことは
クリスチャンとしての信用を得るためにも
もちろん自分自身のためにも
とても大切なことです

クリスチャンは
救いを受けた時から
「生きるも死ぬもキリストのため」と
その生涯を神にゆだね
物事が上手くいく時も、いかない時も
どうあってもすべては神のなさることとして
自分に与えられた仕事に励みつつ
そこに神の助けを見出し感謝していく・・

「わたしたちは
生きるのも主のために生き
死ぬのも主のために死ぬ
だから生きるにしても死ぬにしても
わたしたちは主のものなのである」
(ローマ人への手紙14章8節)


様々な欲に誘われる時も
思うようにいかないことで失望する時も
わたしたちは
「自分に死んでキリストと共に生きる」
すなわち
自分の思いではなく
神の愛にならう考え方で生きていくことによって
”神に喜ばれる者”として
歩むことができるのです

「こうして、あなたがたは
神に愛されている子どもとして
神にならう者になりなさい
また愛のうちを歩きなさい
キリストもあなたがたを愛してくださって
わたしたちのために
ご自身を
神へのかんばしいかおりのささげ物
また、いけにえとしてささげられたのである」
(エペソ人への手紙5章1‐2節)


「わたしがあなたがたにしたとおりに
あなたがたもするように
わたしは手本を示したのだ」
(ヨハネによる福音書13章15節)


以前はキリストと関りがなかった異邦人であるわたしたちが
こうして救われてクリスチャンになったからには
キリストにある者として恥ずかしくないように
キリストの心である愛を基とした生活を心がけていきましょう


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