今週のみことば


9月11日

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「『もし人が監督の職を望むなら
それは良い仕事を願うことである』
とは正しい言葉である
さて、監督は、非難のない人で
ひとりの妻の夫であり
自らを制し、慎み深く、礼儀正しく
旅人をもてなし、よく教えることができ
酒を好まず、乱暴でなく
寛容であって、人と争わず
金に淡白で、自分の家をよく治め
謹厳であって
子どもたちを従順な者に育てている人でなければならない
自分の家を治めることも心得ていない人が
どうして神の教会を預かることができようか」
(テモテへの第一の手紙3章1‐5節)


ここでいう「監督」とは
神の教会を預かる人のことですから
現代においては
教会の代表者である牧師にあてた言葉といえるでしょう

教会は神の家であり
真理の柱と土台があるところです
そこでどのように生活すべきかについては
一言でいえば
その心が健全であるよう心がけるということ
そして
教会外の人々にも
良い評判を得るように努めなくてはなりません
そうでなければ
中傷され
サタンのわなに陥りかねないからです(7節)

さらに
8節以降では
「奉仕者」に向けて同じようなことが記されています
「奉仕者」とは特定の人を指すのではなく
神の教会を構成するクリスチャン一人一人のことであり
イエスの名による救いにあずかった人は
みな同様に健全な心を持つべく
自らの心をコントロールしていくことが大切です

世の中には試練が多く
何度も心弱る時があるとしても
信仰と希望を失わず
神の力によってその心を引き上げていただきながら
各々が社会においても教会においても
その使命を果たしていくとき
神の教会は揺るぎない信仰によって
堅固な建築物となっていくのです

この信仰の根本には
秘められた真理があり
『敬虔の奥義』と呼ばれています

「キリストは肉において現れ
霊において義とされ
御使いたちに見られ
諸国民の間に伝えられ
世界の中で信じられ
栄光のうちに天に上げられた」(16節)


イエス・キリストは
神が肉体をもって生まれて来られた姿です
そして今はその姿を見ることはできませんが
信じる者のうちに聖霊として宿っておられます

「初めに言(ことば)があった
言は神と共にあった
言は神であった」
(ヨハネによる福音書1章1節)

「そして言は肉体となり
わたしたちのうちに宿った」(14節)


キリストの誕生に際しては
御使いたちがそれを告げ知らせ
見守りました
そして
十字架にかかるまでの間に語られた「福音」は
弟子たちによって人々に伝えられ
それは異邦人にまで及び
世界中で信じられるに至ります

「『聖霊があなたがたにくだる時
あなたがたは力を受けて
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土
さらに地の果てまで
わたしの証人となるであろう』
こう言い終わると
イエスは彼らの見ている前で天に上げられ
雲に迎えられて
その姿が見えなくなった」
(使徒行伝1章8‐9節)


この後、御使いによって
イエスが再び来られる約束が告げられました
こうして
昔も今もクリスチャンは
この「ご再臨」の日まで
神の内にある者としてふさわしく歩むべく
日々の戦いを
信仰をもって闘っていくのです

「神の内にいつもいると言う人は
イエスが歩まれたように
自らも歩まなければなりません」
(ヨハネの第一の手紙2章6節)



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