今週のみことば


10月15日

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「人をさばくな
自分がさばかれないためである
あなたがたがさばくそのさばきで
自分もさばかれ
あなたがたの量るそのはかりで
自分にも量り与えられるであろう」
(マタイによる福音書7章1-4節)

人は、自分のしていることは棚に上げて
他人の行動をあれこれ批判することがありますが
他人に対して厳しい物差しで批判すれば
自分も同じ厳しい見方で裁かれることになるのだと
まず知っておかなくてはなりません

そして
自分の目からチリ(間違った思い込み)を取り除いて
正しい生き方や考え方を
神に求めていく必要があります

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう
さがせ、そうすれば、見いだすであろう
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう
すべて求める者は得
探す者は見いだし
門をたたく者はあけてもらえるからである
あなたがたのうちで
自分の子どもがパンを求めるのに
石を与える者があろうか
魚を求めるのに
ヘビを与える者があろうか
このように、あなたがたは悪い者であっても
自分の子どもには
良い贈り物をすることを知っているとすれば
天にいますあなたがたの父はなおさら
求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは
人々にもそのとおりにせよ
これが律法であり、預言者である」(7‐12節)


「求めよ」「さがせ」「門をたたけ」とあるように
この信仰の道は
まず何よりも神を信頼し
祈って、開かれた道を進む事が前提となりますが
世の中には流行のように
様々な「教えの風」が吹いていて
目先の欲や、損得勘定で惑わそうとしてきます
そんな中で
神によって開かれる道は
特に華やかとも思えず
意外な、自分の思いとは違うものであっても
”求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか”
との信仰をもって進むなら
そこには必ず幸いな神の証が伴うのです

そして、このように
常に神の愛と守りのうちにあるわたしたちが心がけるべきは
12節に記された
”だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは
人々にもそのとおりにせよ”
との「律法」です
このみことばは
一般の世の中においても『黄金律』と呼ばれ
人間にとって大切な教えとされているもので
主イエスご自身が語られた
”最も大切な二つの律法(マタイ22章37‐40節参照)”の一つ
「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」
その教えの基本となっています

しかし、このように
神が幸いな教え(福音)を用意してくださっていて
そこに救いの道があっても
様々な「教えの風」によって惑わされれば
その入口を見つけるのは難しいでしょう
むしろ滅びに至る入口の方が
魅力的に見えるかもしれません

「狭い門からはいれ
滅びにいたる門は大きく
その道は広い
そして、そこからはいって行く者が多い
命にいたる門は狭く
その道は細い
そして、それを見いだす者が少ない」(13‐14節)


だからこそわたしたちは
惑わしと滅びを持ってくる「にせ預言者」に
気をつけなくてはなりません
彼らは羊のような姿で近づいてきますが
中は強欲なオオカミです

ただ、そういう人は
その行いと結果を見て
本当の姿を判断することができます
良い木は良い実を結び
悪い木は悪い実を結ぶからです(17節)

ですから、わたしたちは
ただ表向きだけ信仰者の顔をする者とならず
みことばを聞いて信じ
それを行う者となり
その教えを土台として
人生を構築していかなくてはなりません

それについては、24節以降に
「岩の上に家を建てた賢い人」と
「砂の上に家を建てた愚かな人」を例にあげ
揺らぐことも変わることもない
全能の神への信仰を土台として
人生を歩むことの幸いを教えています

5章から始まった『山上の垂訓』は
ここで終わりになります
これらの教えを聞いた群衆は驚き
その後も主イエスについて行くのでした



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