今週のみことば
11月5日
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「さて、イエスは舟に乗って海を渡り
自分の町に帰られた
すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままで
みもとに運んできた
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に
『子よ、しっかりしなさい
あなたの罪は許されたのだ』と言われた
すると、ある律法学者たちが心の中で言った
『この人は神を汚している』
イエスは彼らの考えを見抜いて
『なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか
あなたの罪は許された、と言うのと
起きて歩け、と言うのと
どちらがたやすいか
しかし、人の子は地上で罪を許す権威をもっていることが
あなたがたにわかるために』
と言い、中風の者にむかって
『起きよ、床をとりあげて家に帰れ』と言われた
すると彼は起き上がり
家に帰って行った
群衆はそれを見て恐れ
こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた」
(マタイによる福音書9章1-8節)
主イエスの奇跡の業を聞いて
この方が神であることを信じた人々は
そのみもとに病人を連れてきました
ここでは中風の者が床のまま連れてこられており
彼らの信仰を見た主イエスは
『あなたの罪は許された』と言われるのですが
この方を神だと信じない律法学者たちは
”罪を許す権威”を持っていることも知らないので
それを神に対する冒涜だ!と心の内にののしるのです
しかし、主イエスは
その権威を実際に知らせるために
中風の者をみことばを持って癒しました
そして、病気の人もまた
そのみことばにしたがって
自ら起き上がり
床を担いで家に帰って行ったのです
また、9節で主イエスは
収税所にすわっているマタイに
『わたしに従いなさい』と声をかけ
マタイは従っていきました
当時、収税人は人々から嫌われていましたが
主イエスは彼らに加えて
罪人らとも食事を共にしていたので
パリサイ人たちは弟子たちに
『なぜ、あなたがたの先生は
収税人や罪人と一緒に食事をするのか』
と、非難しました
そこで主イエスは言われました
『医者を必要とするのは
丈夫な人ではなく病人である』
『わたしが来たのは
正しい人を招くためではなく
罪人を招くためである』(13節)
人間は弱く
誰もが救いを必要としていることは
創造主である神ご自身が一番よくご存じです
その神が人間の肉体をもって来られた主イエスは
弱さを抱える人間の救いのために来られました
しかし、自分を正しい者だと自負している律法学者たちは
あくまでも律法を守ることに執着し
主イエスの新しい教えを受け入れることができません
ある時、ヨハネの弟子たちが来て言いました
自分たちとパリサイ派の人たちは断食をしているのに
なぜイエスの弟子たちは断食しないのか?と
バプテスマのヨハネの弟子であっても
その信仰感は「律法の行い」を重視するものでしたから
主イエスにある神本来の姿を
見出すことができなかったのです
これに対してイエスは言われました
「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない
もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け
酒は流れ出るし、皮袋もむだになる
だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(17節)
古い皮袋、つまり自分の中にある
古い価値観や思い込みを捨てないまま
この福音を理解しようとしても
なかなか受け入れられるものではない
まずは自分自身が新しくなって
そこへこの新しいキリストの福音を入れる時に
信仰は正しく育っていくのです
さて、そのような話をしているところへ
会堂司がやってきて
自分の娘が死んだことを告げました
彼はイエスを拝して言うのです
『おいでになって手を置いてやってください
そうすれば生き返るでしょう』
これを聞いて主イエスは出かけるのですが
その途中で今度は病気の女性に出会います
彼女は12年間も血が止まらない病気を患っていましたが
ただ”主イエスの服に触れさえすれば治してもらえる”と信じてさわると
イエスは振り向いて言われました
『あなたの信仰があなたを救った』
こうして彼女は癒されたのです
更に、会堂司の家でも
死んだ娘が生き返ります
信仰のない人々はイエスをあざ笑いましたが
信仰を持った人々には
このような奇跡の業がなされたのでした
また、今度は二人の盲人が
『ダビデの子よ、わたしたちをあわれんでください』
と言ってついてきました
『わたしにそれができると信じるか』と問われると
彼らは『主よ、信じます』と答えます
「イエスは彼らの目にさわって言われた
『あなたがたの信仰どおり
あなたがたの身になるように』
すると彼らの目が開かれた」(29節)
その後、悪霊にとりつかれて口のきけない人が
主イエスのところに連れて来られると
悪霊が追い出され、ものを言い始めたので
群衆は驚嘆しました
しかし、パリサイ派の人々はイエスを非難して言いました
『あの男は悪霊のかしらの力で悪霊を追い出している』
主イエスによる神の業を見た(聞いた)人々は
それぞれの思いによって考え方や言動が分かれ
「信じる人」と「信じない人」二分されています
そして
信じる人は癒され感謝しますが
信じない人はただ見るだけで
自分で体験することもないのです
キリストの福音は
『あなたの信仰があなたを救った』とあるように
「信じること」がすべてです
そのためには
自分の中にある思い(お金や人やモノに寄りすがる)から離れて
主イエスにあって人間がいかに活かされていくかに注目し
そこに希望や平安を見出すことが重要です
とはいえ、人間は弱いので
主イエスの業を見てついてきた群衆たちも
導く者がいないために混乱して弱っていました
そこで、この福音のために働く「働き人(12使徒)」が
この後、選ばれることになるのです
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