今週のみことば


11月19日

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「ヨハネは牢の中で、キリストのなさった事を聞いた
そこで、自分の弟子たちを送って尋ねさせた
『来るべき方は、あなたでしょうか
それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』
イエスはお答えになった
『行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい
目の見えない者は見え、足の不自由な人は歩き
重い皮膚病を患っている人は清くなり
耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り
貧しい人は福音を告げ知らされている
わたしにつまづかない人は幸いである』」
(マタイによる福音書11章2-6節)

主イエスが宣教活動をされている頃
バプテスマのヨハネは牢獄の中にいました
彼はヘロデ王の結婚に反対して投獄されたのです
そこでキリストの御業を聞いたヨハネは
この方が「来るべき方」つまり「メシヤ(救い主)」なのかどうか
弟子たちを送ってたずねさせました

それを聞いた主イエスは
”はい、わたしがメシヤです”と答えるのではなく
その奇跡の御業を見聞きして判断するようにと告げるのです
実際にたくさんの人々が癒されていましたから
信じる人たちもいる一方で
メシヤだと認めない人もいました
本来ならば素直に信じそうなものですが
実際に見聞きしても信じない人は信じないのです

ヨハネの弟子たちが帰ると
主イエスは群衆に向かってヨハネのことを語り始めました
このヨハネこそ
キリストが来る前に道を備える役割を持つ預言者
いや、預言者以上の者だと言うのです

これほどの賛辞を与えられるヨハネですが
3章において主イエスに洗礼を施した時には
「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに」と言って
この方こそメシヤであると確信していたはずなのに
今はその確信が揺らいでいる・・・
それは、牢獄に捕らえられていることで
心(信仰)が弱っていたからかもしれません

何か問題が起きると
主イエスにある自分に自信が持てなくなる
つまり、信仰が弱ることはよくあることです
そんな時にはサタンが働くので
わたしたちは注意しなくてはなりません
「わたしにつまづかない人は幸いである」(6節)

また、神の働きを見ても聞いても
文句を言う人は必ずいる
それは、信仰をもって見ていないからです

「ヨハネがきて、食べも飲みもしないでいると
『あれは悪霊に取りつかれている』と言い
人の子が来て、飲み食いすると
『見ろ、大食漢で大酒飲みだ
徴税人や罪人の仲間だ』と言う
しかし、知恵の正しさは
その働きによって証明される」(18‐19節)


人は色々勝手なことを言いますが
神の正しさは常にその働きによって証明され
それを信じる人には
生きる希望となるものです

また、この福音は
幼子のような小さな者に示され
わたしたちもそれを信じる者として集められました
そして
神にあるわたしたちは
自ら信仰しているのではなく
神から信仰を与えられて生きています
ですから、その信仰を
常に自分からしっかりとつかみに行くこと
それはちょうど
最後の晩餐で主イエスがパンをさき
『取って食べなさい』と言われたように
自ら信仰をつかむべく
神の前に立ち(起ち)、祈っていくことが大切です

色んな問題が起きると
自分はどうしたものかと迷うこともありますが
神のものとされたクリスチャンは
その道に従っていくことで良い業に恵まれると信じ
キリストに捕らわれた者として
希望を持ち
平安な日々を得ることができるのです

「疲れた者、重荷を負う者は
だれでもわたしのもとに来なさい
休ませてあげよう
わたしは柔和で謙遜な者だから
わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる
わたしの軛は負いやすく
わたしの荷は軽いからである」(28‐30節)




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