今週のみことば
1月15日
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「そういうわけだから、わたしたちは
キリストの教えの初歩をあとにして
完成を目指して進もうではないか
今さら、死んだ行いの悔い改めと神への信仰
洗いごとについての教えと按手
死人の復活と永遠のさばきなどの基本の教えを
くりかえし学ぶことをやめようではないか」
(ヘブル人への手紙6章1‐2節)
5章の最後では
救いにあずかったわたしたちの信仰が
いつまでも幼子のままでは
神の言葉を理解することができず
物事の善悪を見分けることも難しいので
なかなか平安を得ることができない・・・
という現状について述べた後
続く6章では
もうこれからは今までと同じ話の繰り返しではなく
信仰が成熟して
しっかりとキリストに心を開いて歩むように勧めています
これは
人は律法の行いでは救われず
洗礼と聖霊とによって救われるとの救いの話や
死人の復活や永遠のさばきについての教えを
もうどうでもいい話だと言っているわけではありません
この救いの源であるキリストの教えの初歩については
反対論を唱える人との議論が絶えず
そのたびに
”基本の教えをくりかえし学ぶ”ことに
時間が費やされてきました
そのような議論を繰り返すよりも
わたしたちは実際に救いを体験し
神の祝福を味わうことによって
圧倒的な神の権威を身をもって知り
その方に対して信仰を深くしていくことを
求められているのです
しかし
残念ながら
救いを受けて、神の恵みを得ても
そのすべての人が信仰を保ち
神に喜ばれる者となるわけではありません(6節)
わたしたちの畑が
天からの恵みの雨を吸い
良い作物を生み出すのであれば
神の祝福にあずかることができます
しかし
いばらやアザミのように
邪魔になるものを生み出せば
役に立たなくなり
やがて呪われて焼かれてしまう(8節)
「しかし、愛する者たちよ
こうは言うものの、わたしたちは
救いにかかわる更に良いことがあるのを
あなたがたについて確信している
神は不義なかたではないから
あなたがたの働きや
あなたがたがかつて聖徒に仕え
今もなお仕えて
御名のために示してくれた愛を
お忘れになることはない」(9‐10節)
人はしばしば間違うものですが
愛の神は
救いを無効にされることはなく
神ご自身が決められたご計画と祝福の約束とは
いつまでも変わることがありません
かつてアブラハムに対して
祝福の約束をされた神は
最上位にいるご自身をさして誓われました
そしてその「誓い」は
反対論を封じる保証となったのです(16節)
神が誓われたのだから反対はない
必ず成るものはなる
それを信じたアブラハムは
約束された祝福を受けることができました
「そこで、神は
約束のものを受け継ぐ人々に
ご計画の不変であることを
いっそうはっきり示そうと思われ
誓いによって保証されたのである
それは、偽ることのありえない神に立てられた
二つの不変の事柄によって
前に置かれている望みを捕らえようとして
世をのがれてきたわたしたちが
力強い励ましを受けるためである」(17‐18節)
”二つの不変の事柄”とは
神による「祝福の約束」と「ご計画」です
それは
神ご自身が誓いによって保証してくださったもの
それによって
偽ることのない神を信じる者が
世にあるお金や名誉に望みを置かず
神に望みを置いていることについて
それが正しい道であると
励まして下さっているのです
「この望みは、わたしたちにとって
いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり
かつ『幕の内』にはいり行かせるものである」(19節)
神の祝福とご計画に対する望みがある限り
その望みは
「魂のイカリ」となって心を支えるので
どんな時も
わたしたちの心はゆらぐことがありません
この信仰の歩みは
「幕の内」へと導くものですが
「幕の内」とは
大祭司メルキゼデクの入る場所
つまり主イエスのおられるところです
すなわち
どんな時も希望をもって
神に近づく歩みをしていきましょうと
ここでは教えているのです
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