今週のみことば


12月10日

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「そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き
家来たちにこう言った
『あれは洗礼者ヨハネだ
死者の中から生き返ったのだ
だから、奇跡を行う力が彼に働いている』」
(マタイによる福音書14章1-2節)

ヘロデ王とヘロディアの結婚について
”律法で許されていないこと”として意見したヨハネは
捕らえられ、牢に入れられていました
ヘロデ王はヨハネを殺そうと思っていましたが
人々がヨハネを預言者と信じていたため
民衆を恐れて殺すことができません
ところが、ヘロデの誕生日に
ヘロディアの娘が踊りを披露すると
それがとても素晴らしかったので
「願うものは何でもやろう」と約束するのです
娘は母ヘロディアに相談すると
ヨハネの首を求めるようにと勧めるのでした

「王は心を痛めたが、誓ったことではあるし
また客の手前、それを与えるよう命じ
人を遣わして牢の中でヨハネの首をはねさせた」(9‐10章)


ヘロディアの娘にとっては
ヨハネの首などもらってもうれしいはずがありません
しかし彼女は母親に相談したがために
とんでもない贈り物をもらうことになりました
このように、相談相手を間違えると
幸いになるどころか悲惨な災いへと導かれていくのです

こうしてバプテスマのヨハネは殺され
そのころ、イエスの評判がヘロデの耳にも入ってきたので
奇跡を行うイエスのことを
ヨハネの生き返った姿だと恐れるようになります

ヨハネの死はイエスの元にも報告され
イエスはそれを聞くと舟に乗ってそこを去り
ひとりで人里離れた場所に行かれました
しかし、群衆たちが追って行ったので
イエスは彼らを憐れんで病人を癒されます

イエスのうわさを聞いて集まってきた大勢の群衆の中には
何とか自分の病気(問題)が治るようにと
熱心に願う人もあれば
ただ見物に来るだけで近寄ることも触れることもしない
つまり、信じない人々もたくさんいたことでしょう

やがて夕暮れになり
イエスはついてきた群衆に食事を与えます
男だけで5千人にもなる群衆にお腹いっぱい食べさせることは
常識的には不可能な状況でしたが
そこにある「5つのパンと2匹の魚」を祈のうちに裂くと
すべての人が満腹した後
残ったパンくずは12のカゴいっぱいになりました

それからすぐに群衆は解散させられ
イエスの弟子たちは舟に乗って向こう岸へと進み出します
その間イエスはひとりで祈っておられましたが
舟が逆風のために向こう岸につけないでいると
今度は湖の上を歩いて弟子たちのところへ来られたので
彼らは「幽霊だ」驚愕しました
水の上を人が歩くなんてとても信じられないことでしたが
「安心しなさい、わたしだ。恐れることはない』
と言われると、ペテロが
自分も水の上を歩きたいと願うのです
ところが、せっかく歩いているところに強風が吹くと
ペテロは恐れて沈みかけました

「イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ
『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった
舟の中にいた人たちは
『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ(31‐33節)


舟はこの後、対岸のゲネサレト(ゲネサレ)に着きます
そこの人々はイエスが来たと知って付近にふれまわりました

「それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て
その服のすそにでも触れさせてほしいと願った
触れた者は皆いやされた」(35‐36節)


”その服のすそにでも触れさせてほしい”
この信仰は
9章に登場した
12年間血が止まらない病気の女性の信仰と同じです

これに対して
神の元に来ても何もならないと思う人には
信じないがゆえに触れようともしないので
癒されることもないのです

「癒(いや)し」とは
病気のみならず
色々な意味で「病んでいる人」が
平安を与えられ、良い方向へと向かって行くこと
そのために必要なのが信仰であり
神の元に近づきたいと願う思いが
癒しへとつながっていくのです

「5つのパンと2匹の魚」で5千人が満たされる奇跡は
人の想像を超えた神のご計画によるもの
だからこそこの信仰の道は
それが自分の願い通りではなくても
必ず幸いへと導かれる道です

そこには水の上を歩くほどの奇跡もある一方で
ふと周りの強い風に気を取られて
怖くなる(不信仰になる)こともあるでしょう
それでも
どんなところにあっても
主イエスが共に歩んでくださることを忘れなければ
神の御業を見せていただけるのだと
信じていける人は幸いです



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