今週のみことば
2月26日
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「こういうわけで、わたしたちは
このような多くの人の証人に
雲のように囲まれているのであるから
いっさいの重荷と
からみつく罪とをかなぐり捨てて
わたしたちの参加すべき競争を
耐え忍んで走りぬこうではないか」
(ヘブル人への手紙12章1節)
11章においては
昔の信仰者たちが
どんな時にも信仰を保ち
神の祝福にあずかったという
たくさんの証が記されていました
このような神の証人たちがたくさんいるのですから
わたしたちもまたそれに習い
様々な重荷でつぶされないように
心に起きてくる思いを振り払い
この信仰の道を最後まで走りぬこうと
12章では教えています
なお
”わたしたちの参加すべき競争”とは
だれかと競う競争ではありません
それは自分の心との戦いを示しており
各々が与えられた運命に従って
神に希望を置き、仰ぎ見ていくために
”からみつく罪”つまり自分の思いを捨てて
信仰に立って生きていこうというわけです
その時わたしたちが目指すのは
信仰の創始者であり完成者である主イエス
この方のように
罪と戦って血を流す(十字架の死)に至るほどの経験は
わたしたちにはありませんが
「主の訓練」として
様々な困難を体験する際には
それを忍耐しなくてはなりません
「あなたがたは訓練として耐え忍びなさい
神はあなたがたを
子として取り扱っておられるのである
いったい、父に訓練されない子があるだろうか」(7節)
人間の父親が子どもを教育するように
「霊の父」である神によって教育されるクリスチャンは
神の実子として認められているからこそ
そこに厳しい教育もあるのです
「肉親の父は、しばらくの間
自分の考えに従って訓練を与えるが
たましいの父は
わたしたちの益のため
そのきよきにあずからせるために
そうされるのである」(10節)
このように
神による教育の目的は
”そのきよきにあずからせるため”
つまり、”神の性質に似ること”にあり
それはわたしたちの益になることです
もちろん、こういう訓練はうれしいものではなく
むしろ悲しく辛いことばかりですが
自分の思いを捨てて
神の思いに立つよう鍛えられる時には
サタンの惑わしに勝利し
正しい道を歩むことができるようになり
「平安な義の実を結ばせるようになる」(11節)
それは
わたしたちの人生の幸いを意味しています
「気をつけて
神の恵みからもれることがないように
また、苦い根がはえ出て
あなたがたを悩まし
それによって多くの人が
汚されることのないようにしなさい」(15節)
”苦い根”は
人の心にひそむ悪い思いです
その一例として、16節に
一杯の食事のため弟ヤコブに長子の権利を売った
兄エサウの過ちが記されているように
目先の欲に目がくらみ
本当に大切なものが分からなくなってしまうことが
一生の祝福の損失につながることを
わたしたちは
よく心に留めておかなくてはなりません
人間はしばしば
自分の思うようにいかない人生に悩みます
その時には
思いつめて絶望するに至っても
信仰によって
その思いを克服することが大切です
信仰は神が与えるものであり
わたしたちが神のご計画を受け入れて
信仰に立った歩みができるかどうか
心の葛藤はあるにしても
潔く神を見上げて歩んだ先人に習い
自分に与えられた道を
最後まで走りつくしていくことが
常に求められているのです
クリスチャンは
キリストがもう一度来られるその日まで
天国に向かって歩んでいます
その時には
天から御旨を告げられる方(主イエス)に
背を向けてはなりません(25節)
もし、自分の思いに固執するなら
そこに平安はないからです
エリコの城壁が崩れる時に助けられたラハブは
信仰によってイスラエルの偵察隊をかくまい
その後、命令に従って
窓から赤い紐を垂らしていました
この赤い紐が目印となり
彼女は助けらます
このように
「信仰に立つ」というのは
何もしないで祈っておくというのではなく
するべきことがあるのですが
「自分の思い」に立つ人は
自分の気に入ったことしかしないので
そこに幸いな結果は望めないでしょう
常に様々な人間の思いが渦巻いているこの世は
やがてキリストのご再臨により大きく揺り動かされ
終わりの時を迎えます
そして、クリスチャンには
決して揺り動かされることのない天国がある
「このように、わたしたちは
震(ふる)われない国を受けているのだから
感謝をしようではないか
そして、感謝しつつ、恐れかしこみ
神に喜ばれるように、仕えていこう」(28節)
この28節が12章のまとめになっています
誰も試練は通りたくないけれど
神が通される道なら受け入れて
信仰を持って歩んでいきましょう
その道は苦しいばかりではなく
必ず愛の神による助けがあります
「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき
走るべき行程を走りつくし
信仰を守りとおした
今や、義の冠が
わたしを待っているばかりである」
(テモテへの第二の手紙4章7‐8節)
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