今週のみことば


3月12日

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「わたしの兄弟たちよ
あなたがたが、いろいろな試練に会った場合
それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい
あなたがたの知っているとおり
信仰が試されることによって
忍耐が生み出されるからである
だから、なんら欠点のない、完全な
できあがった人となるように
その忍耐力を十分に働かせるがよい」
(ヤコブの手紙1章2-3節)

ヘブル人への手紙では
「信仰」について繰り返し語られましたが
ヤコブの手紙においては
その信仰に基づく「行い(歩み)」について記されています

イエスの名による救いを受けて
クリスチャンになった者は
その時点で完全な存在になるわけではなく
様々な試練を通して
自分を省みる機会を与えられます
つまり
きびしいところに置かれることで
自分が何者であるか
その弱さや欠けているところを知ることができ
神の助けなくしては生きていけないのだと
信仰に立つべきことを改めて教えられるのです

試練そのものはうれしいものではありませんが
自分を知り
信仰に導いてくれるものですから
結果としては
”非常に喜ばしいこと”であり
さらに
信仰によって生み出される「忍耐」は
やがて「希望」へとつながっていくものです

ここでの「忍耐」は
一般に言うところの「がまん」とは違います
「信仰による忍耐」とは
自分の思いとは違う道であっても
神と共に歩むように
自分の思いを変える努力をすることであり
その時には
「神の知恵」が与えられ
神からは必ず良いものが出てくると信じることで
「希望」もわいてきて
実際に問題も乗り越えることができるわけです

一方、世の中では
神の知恵がないため
知者や学者が集まってどうにかしようとするのですが
いつも何か上手くいきません
このように
「人間の思い」からは正しい答えが出てこないため
そこに頼っていると「希望」もないのです

ですから
色々な試練にあって信仰が試される時
クリスチャンは
神と共に歩む幸いを学ぶ機会として
そこを信仰をもって通っていきます
そのために
神の知恵が与えられるようにと
願い求めて行くべきなのですが
その時には
「ただ、うたがわないで
信仰をもって願いもとめなさい」(6節)

と記されています

もし疑うなら
その人は神から何もいただけないでしょう
なぜなら
その人は「二心の者」であって
そういう人の生き方には安定がありません(7節)

自分の置かれた立場が貧しくても
神はそれを高めてくださるし
富んでいる者も
やがて草花のように滅びていくでしょう
それでも
多くの人は
神の言葉よりも富に心を寄せている
しかし
クリスチャンは「いのちの冠」を受ける者として
様々な誘惑(思い)に勝利しなくてはなりません

「試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである
それを忍びとおしたなら
神を愛する者たちに約束されてた
いのちの冠を受けるであろう」(12節)


ヨブ記において
この上ない過酷な試練にあったヨブは
ただじっとがまんして
試練から解放されたわけではありませんでした
彼は行いにおいて熱心な信仰者でしたが
実際には神がどのような方であるかを知らなかった
最後にそれを知った時に
はじめて心から悔い改め
神にその信仰を認められたのです

このように
人間は誰でも欠けたところがあって
その弱さのために「誘惑」に陥る
(自分の思いに負ける)こともあります
その時には
あくまでも自分が誘惑されて
自分勝手な行動をしているのに
それを神が導いたと言ってはならない
神は決して人を悪い方向へ導くことはなく
誘惑に陥るのは
その人の欲望によるものだからです

「欲がはらんで罪を生み
罪が熟して死を生み出す
愛する兄弟たちよ
思い違いをしてはいけない」
(15‐16節)


「あらゆる良い贈り物」や「あらゆる完全な賜物」は
すべて神から来るものですが
わたしたちはそれを理解しているでしょうか
神から来る「真理の言葉」に対して
信頼があるでしょうか
思うようにいかない人生にあっても
神と共にある幸いを知り
神に立つという「忍耐」は
信仰なくしてはできないことです

「愛する兄弟たちよ
このことを知っておきなさい
人はすべて
聞くに早く
語るにおそく
怒るにおそくあるべきである
人の怒りは
神の義を全うするものではないからである
だから、すべての汚れや
はなはだしい悪を捨て去って
心に植えつけられているみことばを
すなおに受け入れなさい
みことばには
あなたがたのたましいを救う力がある
そして、みことばを行う人になりなさい
おのれをあざむいて
ただ聞くだけの者となってはいけない」
(19‐23節)


自分の思い通りにならないことで
人はしばしば腹を立てるものです
しかし、その前に
まずみことばを聞いて
素直に受け入れて
それを行う人になりましょう
なぜなら
みことばにはわたしたちの魂を救う力があり
その時には
人の怒り(思い)から離れて
幸いな道へと導かれるからです
「こういう人は
その行いによって祝福される」(25節)


人の思いですることは
それが良い気持ちから出たことであっても
良い結果につながるとは限りません
人間の考えることやすることには
何か欠けたところがあって
思わぬ方向へと
事態が展開してしまうこともあります

自分は信心深いと自負している人でも
何か面白くないことがあると
神に背を向け
不信の言葉も出てくるかもしれません

そのような状態に陥らないよう
自分の心を神に近づけるために
みことばに寄り添っていくことを心がけ
正しい心を守っていくことができますように



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