今週のみことば
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4月23日

「あなたがたは
主が恵み深い方であることを
すでに味わい知ったはずである
主は人には捨てられたが
神にとっては選ばれた尊い生ける石である」
(ペテロの第一の手紙2章3節)

神の一方的な恵みによって
救いにあずかったクリスチャンは
その恵み深さをよく知っているはずです
そして
神が肉体をもって生まれてこられた
主イエス・キリストという「尊い石」に対して
世の中の人々のように軽視せず
この主のみもとに来ることで
わたしたち自身も
それぞれが「生ける石」となって
「霊の家」を築き上げていくように
その心が神に向くことが重要です

ただ
救いにあずかってはいても
この世に生きている間は
わたしたちには常に
「たましいに戦いをいどむ肉の欲」がつきまといます

「だから、あらゆる悪意
あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて
今生まれたばかりの乳飲み子のように
混じりけのない霊の乳を慕いもとめなさい」(1‐2節)


このような「悪い思い」に支配されている限り
わたしたちのたましいに平安はありません
ですから
今や神の民となり
神によってあわれみを受けた者となったからには
「神に従う」という教育によって
正しい道へと導かれて行かなくてはなりません

その具体例として
「異邦人の中にあって立派な行いをしなさい」(12節)
「あなたがたは、すべて人の立てた制度に
主のゆえに従いなさい」(13節)
「僕たる者よ、心からのおそれをもって
主人に仕えなさい」(18節)

といったことが挙げられていますが
その中には
たとえ無慈悲な主人であっても従うようにと
人間的には理不尽と思えるような内容も含まれています
しかし
それらの試練が神から出たことなら
わたしたちはそれを受け入れて忍耐することで
神を喜ばせることになるのです

「あなたがたは、実に
そうするようにと召されたのである
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け
御足のあとを踏み従うようにと
模範を残されたのである
キリストは罪を犯さず
その口には偽りがなかった
ののしられても、ののしりかえさず
苦しめられても、おびやかすことをせず
正しいさばきをするかたに
いっさいをゆだねておられた」(21‐23節)


何の罪もない方が十字架にかかるという試練は
神ご自身が
神の御旨に従う見本を示されたものです
その時、キリストが受けられた傷によって
わたしたちはいやされ
迷いの中から救い出されて
神に立ち帰ったのでした

そして今
各々の人生にあって試練にあう時
クリスチャンは「神の僕(しもべ)」として
神にすべてをゆだねて従っていきます
そうすることで
希望が生じ、平安が与えられるなら
その姿は神を知らない人にとって
驚くべき姿として映るでしょう

明日は教会で告別式があります
まだ若い方の突然の召天には
ご遺族の驚きと悲しみはいかばかりかと心が痛みますが
受け入れがたい状況も冷静に受け止めて
すべてを神にゆだねていかれる様子に
神の力と恵み深さを実感しているところです


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